ベルリン国立オペラで、アンドレ・カムプラのオペラ⟪イドネメ⟫を観た。といっても、「なんじゃそれ』と思う人がほとんだと思う。ぼくも知らなかった。
「イドネメ」から多分、モーツァルトのオペラ⟪イドメネオ⟫と何らかのつながりがあるのだろうくらいは想像できた。しかしカムプラの⟪イドメネ⟫が、モーツァルトの⟪イドメネオ⟫のお手本になっていたとは。ぼくはまったく知らなかった。
アンドレ・カムプラ(1660 - 1744年)は、フランスのバロックオペラの作曲家だった。フランスのバロックオペラといえば、ジャン-フィリップ・ラモ(1683 - 1764年)くらいしか知られていないかもしれない。
ドイツやイギリスでは、イタリア・オペラの強い影響を受けていた。それに対してフランスは、ヨーロッパにおいて当時、独自の民族性のある民族的なオペラが創作されていた唯一の国といっても過言ではないという。
フランスの民族的なオペラの基盤を築いたのは、イタリア出身のジャン-バティスト・リュリ(1632 - 1687年)だった。その伝統をイタリアからの影響を受けながらも、ラモへと引き継いだのがカムプラだったといわれる。
カムプラは元々、楽長出身。パリのノートル・ダーム大聖堂の楽長まで務めたことがある。そのころに作曲された作品はオペラ・バレで、オペラというほどのしっかりした筋はなかった。ただ楽長であることを隠すため、変名を使っていたという。
しかしそれが発覚し、楽長として免職させられている。その後、オペラ悲劇も10作品作曲。その一つがこの⟪イドメネ⟫だ。
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ベルリン国立オペラ公演⟪イドメネ⟫のイドメネ役のタシス・クリストヤニス。結末のシーン。© Simon Gosselin(ベルリン国立オペラ提供) |
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イドメネはクレタ王。イドメネは帰国途中難破し、九死に一生を得る。その時、海神ネプチューンの怒りを鎮めるため、上陸して最初に会った人間を犠牲にして捧げると誓った。その最初に会った人間は、息子のイダマンテだった。イドメネはクレタの敵トロイアの女王イリオーネをクレタに拘束しているが、そのイリオーネに恋心を抱く。しかしイリオーネと王子イダマンテが相思相愛の仲であることを知る。
約束を守ることを迫るネプチューンに対し、イドメネはどうするのか。
カムプラの⟪イドネメ⟫では、アリアがあまりない。多くが、レチタティーヴォによってドラマが展開する。しかしレチタティーヴォの伴奏形式がとても多様だ。チェンバロだけではなく、オーケストラが多様に伴奏することが多い。だからヴァーグナーのオペラのように、作品全体を通してオーケストレーションされている作品であるように感じる。
ドラマの構成もとても巧妙だ。アリアやレチタティーヴォによって、登場人物の感情を吐露させる。ただそれでは、話の筋がわかりにくい。話の筋がわかりにくくなると、合唱によってうまく簡単に説明させる。
作品全体を通し、ことばで構成される歌詞がとても重要になっていることがわかる。カムプラの音楽はそのことばを決して邪魔しない。とてもよく構成され、考えられていると思った。この時代の作品としては、信じられないくらい完成度の高い作品だと思う。
ぼくはフランスオペラの特徴として、途中にバレー音楽が入るのがあまり好きではない。⟪イドネメ⟫においても、バレー音楽が何カ所にもはいる。しかし質素で、いやらしさがない。それがまたいい。
さて、結末だ。
モーツァルトの⟪イドメネオ⟫では、イドメネオが退位し、息子イダマンテ王子とイリア(イリオーネのこと)を一緒にさせて王位につかせ、ハッピーエンドで終わる。
それに対してカムプラの⟪イドネメ⟫は、どうか。
イドメネが息子のイダマンテを殺害してしまうのだ。正気に戻ったイドメネは、何てことをしてしまったと後悔する。死にたいが、神々に一生苦しみながら生きていく罰を課せられる。
何という運命、悲劇なのか。
指揮は、フランスの女性指揮者エマニュエル・アイム。バロック音楽のスペシャリストだ。手を上から下に振った時の跳ね返しがちょっと重い感じがした。それが音楽にも反映されていたと思う。もっとリズミカルでもよかったかもしれない。ただ⟪イドネメ⟫がオペラ悲劇だということを考えると、アイムが意図的に少し重くしたとも考えられる。そのほうがむしろ、よかったのだと思う。
今回の公演は、アイムがカムプラをこうしてドイツで取り上げてくれたことにつきる。びっくりするような発見だった。
感謝、感謝。
(2021年11月22日) |