2020年5月04日掲載 − ぶらぼー!
ズボン役は性別を超えているのか

カストラートとカウンターテノールに関連して、「ズボン役」について述べた。ここでちょっと脱線して、その後の「ズボン役」のことについて少し書いておきたい。


バロックオペラ後、女性歌手が男装する有名な「ズボン役」は、モーツァルトのオペラ〈フィガロの結婚〉のケルビーノにはじまるのではないかと思う。「ズボン役」が頂点に達するのは20世紀になってから。リヒャルト・シュトラウスのオペラ〈薔薇の騎士〉のオクタヴィアンではないか。


「ズボン役」は、この二つの作品に見られるように、少年ないし青年役を女性歌手が歌う。フンパーディングのオペラ〈ヘンゼルとグレーテル〉のヘンゼルもそうだ。少年だからだ。ただケルビーノとオクタヴィアンでは、男性だが、一時女装して女性に扮する。


それに対して、ベートーヴェンのオペラ〈フィデリオ〉のフィデリオでは、妻のレオノーレが男性に扮して夫を救う話だ。劇中では、常に女性だ。リヒャルト・シュトラウスのオペラ〈アラベラ〉のズデンカでは、アラベラの妹あることが劇中で明かされていても男装を続ける。


こうして見ると、ぼくには「ズボン役」が男女の区別を越すものだとは思えない。むしろ、男女の役割をはっきりさせているように思えてならない。


少年や青年が女性によって演じられるのは、まだ「男」になっていないからだ。でも、女性には関心を持ちはじめる(ケルビーノとオクタヴィアン)。そこからソフィーに好意を持って男性にまで成長して恋をするのは、オクタヴィアンだ。それは、20世紀初期という後期ロマン派の時代になったから、そこまで劇中で成長させることができたのではないかと思う。例外なのではないか。


ズデンカは男装していても、妹として女性の役割を演じたままだ。フィデリオが男装したのは、妻が夫を救うには男性としての強さが必要だったからだ。


その意味で「ズボン役」は、決して男女の区別をなくするものではない。「ズボン役」では、男女の役割分担がしっかりしている。むしろ、男女平等の確立していない時代を反映させていると思う。


カストラートとカウンターテノールには、女性を排除する宗教的な背景があった。それも、当時の時代をとても反映させていた。


モーツァルトのケルビーノが画期的なのは、ズボン役を取り入れたことではない。劇中において、まだ少年であってもすでに女性に関心を持つ素直な気持ちを描いたことだった。


(2020年5月04日)
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