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イタリアのヴェネーツィアは、教会音楽、バロック音楽の中心だった。音楽の中心はサン・マルコ寺院。現在サン・マルコ大聖堂といわれるが、それはそこに、ヴェネーツィア大司教座があるから。しかし当時は、司教座聖堂ではなかった。
14世紀初期にはすでに寺院にオルガンと合唱団があり、教会音楽を継承していくため、合唱学校もあったという。サン・マルコ寺院には、左右に向き合う形で聖歌隊のバルコニーがあり、それぞれのバルコニーにはオルガンもあった。
この特異な空間的配置によって、エコーやステレオ効果など空間的効果が生まれる。この特徴を利用して、複合唱様式、分割合唱様式が普及し、深まっていく。
その代表的な作曲家は、ジョヴァンニ・ガブリエーリ(1554か1557 - 1612年)。ガブリエーリは1585年、サン・マルコ寺院の首席オルガニストになり、その後楽長となる。その後、1613年にクラウディオ・モンテヴェルディ(1567 - 1643年)がサン・マルコ寺院の楽長となった。
モンテヴェルディ楽長就任後の1616年、フランチェスコ・カヴァッリ(1602 - 1676年)が寺院の少年合唱隊に入り、音楽教育を受ける。カヴァッリはモンテヴェルディの弟子として、その後にサン・マルコ寺院のオルガニストになり、モンテヴェルディの後任として楽長に出世していく。
ガブリエーリとモンテヴェルディは、ルネッサンス音楽からバロック音楽の過渡期の作曲家。この時、ヴェネーツィアで学んだハインリヒ・シュッツ(1585 - 1672年)などのドイツの作曲家がヴェネーチアで習得した音楽様式をドイツに持ち帰ってドイツのバロック音楽に大きな影響を与えた。そうして、バッハ(1685 - 1750年)の音楽が生まれるのだった。
カヴァッリはバロック音楽の作曲家だが、カヴァッリはオペラの作曲家と思っている人が多いかもしれない。ぼくも、カヴァッリのオペラ⟪カリスト⟫(ベルリン国立オペラ、ヤコブス指揮、ヴェルニッケ演出)を聴いて、大ファンになった。
カヴァッリのオペラはヴェネーツィアで広がっていく公設歌劇場で上演され、カヴァッリはバッロク・オペラを一般市民に解放した立役者だ。その点で、宮廷楽団のために作曲されたモンテヴェルディのオペラとは異なる。
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ベルリン・フィリハーモニー大ホールであったRIAS室内合唱団元旦コンサート。公演後のカーテンコールから |
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ベルリンのRIAS室内合唱団は毎年、新年元旦にベルリン・フィリハーモニー大ホールにおいて元旦コンサートを行なっている。新年2026年のプログラムは、ガブリエーリとモンテヴェルディ、カヴァッリの合唱曲によるヴェネーツィア音楽の夕べとなった。カヴァッリの⟪合唱ミサ曲⟫を中心に、ガブリエーリとモンテヴェルディの作品が盛り込まれている。
指揮は、RIAS室内合唱団の首席指揮者・芸術監督のジャスティン・ドイル。演奏は、ベルリン古楽アカデミーだった。
ベルリン・フィリハーモニー大ホールは、サン・マルコ寺院ではない。寺院では、ほとんどの聴衆は聖歌隊を見ることができない。それに対してベルリン・フィリハーモニー大ホールでは、演奏家も合唱隊も指揮者も丸見えだ。
寺院では残響が長く、エコー効果は抜群だったと思われる。それに対して、現在のコンサートホールは、残響が長すぎないように調整されているが、ステレオ効果は現代のホールのほうがすべての人の耳に届くのではないか。
さらに当時は、礼拝などの儀式において合唱曲が歌われていたことも忘れてはならない。指揮のドイルはこの点に特に注意していたと思われる。しかし、宗教曲臭くなったわけではない。当時のヴェネーチアの音楽の美しさをこれでもかというくらいに味わうことができた。天国から流れてくるような音楽の美しさに涙が出そうになる。
しかしドイルの音楽つくりは、美しさに焦点を置きすぎた。そのため、音楽の躍動性やダイナミック性が少し失われてしまったと感じる。
宗教曲であっても、生き生きしたところがあり、ドカーンと衝撃的なところもあっていいはずだ。それが、少し物足りなかったと思う。
しかし、極上のきれいな音楽だった。
(2026年1月14日、まさお) |