前回、バッハのクリスマスオラトリオを例に、市民にとってバッハの音楽がいかに生活の一部になっているかについて書いた。
これを取り上げたのは、バッハの音楽がバロック音楽にとってなくてはならないものだからだ。バロック音楽がいかに生活と密着しているかも示したかった。
その記事を投稿した直前、世界的なテノール歌手ペーター・シュライアーが亡くなった。84歳だった。
ペーター・シュライアーといえば、一般的にはモーツァルトのテノール歌手が代名詞ではないだろうか。それ以外には、バッハの受難曲のエヴァンゲリスト(福音史家)がシュライアーの定番だったと思う。
世界で華やかに活躍したシュライアー。でも、ぼくはシュライアーこそ、バッハの音楽を小さい時から聞き、生活においてバロック音楽で育ってきた歌手ではないかと思っている。町の生活の中から生まれた歌手なのだ。
シュライアーの父親は、教会の合唱団の指揮者だった。シュライアーは小さい時から、ドレスデンの聖十字架教会合唱団で歌っていた。教会の聖歌隊が、世界的に有名になった少年合唱団だ。
シュライアーはその時に歌手としての才能を見出され、世界的な歌手となった。その他にも、テオ・アダム(バス)が聖十字架教会合唱団の出身だ。
シュライアーは、東ドイツの体制下に入ることなく、世界で活躍するという特権を得ていた。いつでも、亡命するチャンスがあったはずだ。でも、それをしなかった。
それについてシュライアーは、ドレスデンの音楽生活から離れることができないからだというようなことをいっていたという。
シュライアーの音楽は、小さい時から生活の中でからだに染み付いた音楽だった。それが、シュライアーがバッハを歌った時の特質だったのだと思う。そうでない限り、あういうバッハは聞くことができなかった。誰にも真似ができなかった。シュライアーは、生活の中、ドレスデンという町から出てきた歌手といってもいい。
シュライアーは、世界的な歌手という華やかな面の裏に、生活の泥臭い匂いを持ち合わせた歌手だったのではないかと思う。これは、ぼくのように生活とともに音楽に接してきたわけではない者には、乗り越えることのできない壁のように感じられる。
クラウディオ・アバドがベルリンフィルとバッハのマタイ受難曲を演奏した時、エヴァンゲリストはシュライアーだった。
シュライアーは時折、むしろ汚いという声を出す。その時、アバドがしかめ面をする。でも、シュライアーにとってはそれが町の音楽だったのだと思う。
現在の音楽教育や、クラシック音楽界で活躍する環境を見ると、シュライアーのような町の歌手はもう出てこれないのではないかと心配だ。
(2020年1月20日) |