2026年3月12日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オペラ
ヤナーチェクのオペラ⟪利口な女狐の物語⟫

レオシュ・ヤナーチェクのオペラ⟪利口な女狐の物語⟫は、ベルリンとは切ってもきれない密接な関係にある。


1950年代中頃から、ベルリン・コーミッシェ・オーパーにおいてオーストリア人ヴァルター・フェルゼンシュタイン演出、チェコ人ヴァーツラフ・ノイマン指揮で⟪利口な女狐の物語⟫が200回以上も上演されている。それが、⟪利口な女狐の物語⟫ばかりでなく、ヤナーチェクの音楽を世界に広めるきっかけになった。


ただベルリン国立オペラで⟪利口な女狐の物語⟫が上演されるのは、今回がはじめて。前音楽監督バレンボイムの勧めで、サイモン・ラトルがベルリン国立オペラでヤナーチェクの代表的な6つのオペラ作品を新演出で指揮することになり実現した。⟪利口な女狐の物語⟫はその最後の作品。


原作は、新聞紙上に連載されていたスタニスラフ・ロレクのコミックだった。コミックの絵には、ルドルフ・ティエスノフリーデクの簡単なキャプションがつけられ、ヤナーチェクがそれを土台に自分で台本を書いた。


ヤナーチェクの家政婦がそのコミックの大ファン。主人に新聞を渡す前に読みふけっていた。家政婦がコミックのユーモアに思わず声をあげて笑ったところに、ヤナーチェクが居合わせた。ヤナーチェックがそれは何かと聞くと、家政婦がこのコミックを題材にすれば、おもしろいオペラになるのではないかといったのが、オペラ化するきっかけになったという。


テキストを書いたティエスノフリーデクは主人公の狐を「機敏な女狐」としていたが、それを印刷する時に植字工が誤って「早耳の女狐」と文字組みしてしまった。


しかしコミックもオペラもその後も、タイトルは間違ったまま『早耳の女狐の冒険』となっている。


その点、「利口」とするのは元々の原題に戻していることになる。ドイツ語のタイトルも「利口」となっている上、「女狐」は女性名詞ではなく、「小さなもの」や「かわいいもの」を意味する詩語的な中性名詞の末尾がつけられている。


これは、物語が最初に子狐からはじまるからだ。


物語は、銃を持った森番が森で休憩するところからはじまる。森番は子狐を捕まえ、自宅に連れて行く。大きくなった女狐は、森番の家で横柄な雄鶏とそれに服従する雌鶏と雛立ちに我慢ならず、鶏たちを殺して逃げてしまう。


女狐は森で穴熊を追い出して穴熊の巣に暮らしていたが、その前を通った雄狐といい中になり、きつつきが司祭になって結婚する。


原作のコミックはここでハッピーエンドで終わるのだが、ヤナーチェックは独自に第3幕を追記して、自分の思想をオペラ化した。


女狐は夫の雄狐と子狐を救おうとおとりになって、狐たちに鶏を食べられた鶏の売人に射殺されてしまう。森番は居酒屋の女将から、鶏の売人の婚約者が両端の開いた口から手を入れる狐の防寒具マフを持っていたと聞かされる。


それから何年も年を経て、森番は同じ森で眠り込んでしまう。昔の自分のこと、女狐のことを思い出していた。ふと若い女狐が近くにいるのに気づいて捕まえようとするが、捕まえたのはカエルだった。昔女狐を捕まえた時もカエルがいたが、捕まえたカエルは、女狐を捕まえた時にいたカエルは自分の祖父だったという。


⟪利口な女狐の物語⟫では動物がたくさんでてきて、動物と人間が非常に近い存在になっている。歌詞は、それぞれが対話する感じで、短く簡潔だ。登場する動物や人間の歌詞に合わせて作曲されているようになっている。


同時に、歌詞には自然と生き物が再生する東洋の輪廻のような思想さえ盛り込まれている。結婚によって拘束される女性を解放して自由にしたいというヤナーチェックの強い願望ものぞき見ることもできる。


今回演出したアメリカ人のテッド・ハフマンは、陽気なコミックから生の再生を物語化したオペラをわかりやすくするため、作家カフカの友人だったマックス・ブロートが提案したように、森番の妻とフクロウ、司祭と穴熊、校長と蚊を一人二役で演じさせた。


しかしぼくには、それはどうでもよかった。女狐と男狐のカップルが狐よりも人間に近い衣装になっていたが、それで十分だったと思う。


⟪利口な女狐の物語⟫がヤナーチェックの思想的なオペラだと強調すると、重い感じがするかもしれない。しかし音楽は、とてもきれいなメロディになっている。


指揮のラトルのほうがリズムが重くなりがちで、一部ではリヒァルト・シュトラウスのオペラを思わせるように重く指揮されていた。ぼくは1960年代に録音されたノイマンの演奏を事前に聞いていたが、ノイマンはいたって軽い音楽造りをしていた。ぼくはそのほうが作品に合っていて、作品のすごさを感じやすいと思う。


歌手はつぶが揃っていたが、一部で声を張り上げすぎるところがあったのは残念だった。


これで、ラトルによるヤナーチェック・チクルスは終わった。国立オペラでオペラを指揮する時にはベルリンフィルの首席指揮者時代には見られなかったラトルのよさが出てくるのだから、ラトルにはこれからも定期的にベルリン国立オペラで指揮をしてもらいたい。


(2026年3月12日、まさお)
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関連サイト:
ベルリン国立オペラのサイト
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