2024年1月10日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オペラ
映画監督ヴェンダースがビゼーの⟪真珠採り⟫を演出

作曲家ビゼーというと、オペラ⟪カルメン⟫のことしか思い浮かばない人も多いと思う。ぼくもまあ、それに近いようなものだった。


しかし25歳の時に作曲したオペラ⟪真珠採り⟫を観て、ビゼー観が変わった。


実は、⟪真珠採り⟫の中で歌われるアリアやデュエットには、それだけで歌われ、有名なものもある。たとえば、第1幕のナディールのアリア「耳に残るは、君の歌声」。ぼくは、往年の名テノール、アルフレード・クラウスの歌ったものがすばらしいと思う(関連サイト参照)。


しかしそれが、⟪真珠採り⟫からというのはあまり知られていないと思う。


オペラ⟪真珠採り⟫自体も、それほど上演されることがない。過小評価されているといわなければならない。


話の筋はこうだ。


1人の美しい女性レイラを争った真珠採りの頭領ズルガと旧友のナディール。2人の元に、真珠採りの安全を願うために尼僧となったレイラが現れる。ズルガは尼僧に純潔さを誓わせるが、ナディールはレイラと一緒に逃げることを決意。しかし2人は捕らわれ、嫉妬したズルガが死刑をいい渡す。ズルガはレイラから母に形見として渡してほしいといわれた首飾りを見て、レイラが自分の命を救ってくれた恩人だと知る。ズルガは悩んだあげく、レイラとナディールを救うことになるのだが。。。


3人の人間の絡み合った愛と友情、嫉妬と苦しみが描かれたドラマ。一部に表面的なメロディーもあるが、その人間模様をじっくり洞察し、深くてすばらしい音楽が展開される。


25歳と若い作曲家の音楽とは思われない。ビゼーはその若さで、人間のことをよく知り、観察している。十分に成熟していたとしか思えない。


ぼくは今回、ベルリン国立オペラで⟪真珠採り⟫を観た。演出は、ドイツの映画監督のヴィム・ヴェンダース。指揮は今回、フランス人指揮者ファノースタンだった。振りすぎずに、とても落ち着いたいい指揮で、作品のいいところを引き出していたと思う。


5年前に制作されたものだが、これまで観たいと思いながら機会がなく、今回ようやく願いがかなった。


ヴィム・ヴェンダースによると、当時音楽監督だったバレンボイムに声をかけられ、はじめてオペラを演出することになったという。過小評価されてきた作品を救いたいと思ったとも語っている。


その通りになったと思う。この演出は、時代を超えて長続きすると思う。


ちょうど日本で撮影されたヴェンダースの映画『Perfect Days』もベルリンで上映されており、続けてみることになった。


ヴェンダースのオペラ演出と映画『Perfect Days』の演出には、共通点がある。


『Perfect Days』の主人公平山は公衆トイレの清掃員。毎日同じ日課を過ごしている。しかしその1日1日は、ちょっとした違いや人との出会いによって常に新しく、変化していく。


⟪真珠採り⟫でも、そうなのだ。舞台上に波の映像が現れる。波はいつも同じように波打っている。しかし舞台では、人間のドラマが展開していくのだ。


それもちょっとした小さな演技の変化によって、ドラマが展開していく。真珠採りとなったコーラスの団員や主な登場人物は、最小限にしか動かさない。しかし、その小さな変化だけで、ドラマの筋がよくわかるようになっている。


最小限の動きは、時代の変化には左右されない。だからこそこの演出は、時代の流れに関係なく、長続きすると思う。


演出の妙だと思った。見事としかいいようがない。


さて、ズルガの最後はどうなるのだろうか。


尼僧のレイラをつれてきた高僧ヌラバットらに殺されてしまうことが多いようだ。火刑にされたり、自殺してしまう解釈もある。


ヴェンダースは、それまで何回も舞台に現れた波の映像にズルガを飲み込ませてしまう。波はいつも、同じように波打っている。舞台真ん中に立つズルガは、そのうちに波に飲み込まれ、消えていく。


さすがヴェンダース。深いなあ!


(2024年1月10日、まさお)
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関連サイト:
⟪真珠採り⟫第1幕、ナディールのアリア「耳に残るは、君の歌声」、アルフレード・クラウス歌
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