公共トイレから見える社会の素顔

  2023年5月27日にあったカンヌ国際映画祭授賞式で、日本の俳優役所広司さんが最優秀男優賞を受賞しました。役所さんは、ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースさんの作品「PERFECT DAYS(パーフェクト・デイズ)」において、東京渋谷区内の公共トイレの清掃員として主役を演じたのでした。

 この映画が、渋谷区で公共トイレを新しく生まれ変わらせるプロジェクト「The Tokyo Toilet」をベースにしていると知って、びっくりしました。そしてさすがヴィム・ヴェンダースだなあと、納得できました。

 ぼくはこれまで、日本の公共トイレは「汚い、臭い」が代名詞だと思っていました。しかし昨年2022年秋に日本に2カ月間滞在して、日本の公共トイレがとてもきれいに生まれ変わっているのにびっくりしました。

 ぼくは、トイレは単に、汚いか、きれいかだけの問題ではないと思っています。トイレは、人に使ってもらうものです。人は、店舗やレストランのお客さんであるかもしれません。あるいは、美術館やコンサートホール、スタジアムの観客であるかもしれません。駅のトイレであれば、人は主に乗客です。街頭や公園に設置された公共トイレを使うのは、通りすがりの人です。

 人がトイレを利用しても、トイレを提供する側に直接の利益がもたらされるわけではありません。むしろ、コスト負担が増えるだけです。トイレはあくまでも、トイレを提供する側の人に対する思いやりにすぎません。トイレを提供する、提供しない、あるいはどういうトイレにするのかは、トイレを提供する側の気持ち次第です。

 その思いやりに、どれだけ気持ちがこもっているのか。それを示すのがトイレです。トイレを通して、その思いやりを感じることができます。トイレが臭くて、汚いのであれば、きれいなところで気持ちよく、安心して用を足してもらおうという思いやりがありません。

 これは、役所さん演じるトイレ清掃員の気持ちにも関わる問題です。

 ぼくはよく、評判のいいレストランやカフェ、有名な建築家が設計した建物に入ると、必要がなくても、トイレに入ってトイレを見ます。それによって、そのお店や建築家に、どれくらい人に対する思いやりがあるのかを見ます。

 今回、日本でトイレがきれになっているのを見て、とても気持ちがよくなりました。日本にはいいところもあるなあ、と感心しました。

 それに対してぼくの暮らすドイツでは、特にベルリンだからかもしれませんが、以前に比べて公共トイレが悪くなったなあと感じます。それは単に、きれい、汚いの問題ではなく、公共トイレがビジネス化され、人間味がなくなったからでもあります。

 ドイツの公共トイレは、有料です。デパートに入ってもトイレが各階にあるわけではありません。トイレの数はかなり少ないと思います。公園や街頭でも、公共トイレがなかなか見つかりません。駅では、長距離列車の止まる大きな駅にいかないと、トイレはありません。ドイツにいると、外出していて用を足したくなると、本当に困ります。

 昔はよく、公共トイレには「Toilettenfrau(直訳すると、「トイレ女性」)」というトイレの管理人であり、清掃員でもある人材が置かれていました。利用者が利用料金を支払ったかも、監視されました。知人はそれを皮肉っぽく、「くそばばあ」と日本語に訳していました。ドイツ語には「くそじじい(Toilettenmann)」ということばがないので、今はジェンダー問題になりかねません。

 そういう人材が公共トイレに置かれているのは、それで人間らしい触れ合いがあり、人間臭さがありました。ベルリンには、「Toilettenfrau」のポートレートを新聞に連載する女性カメラマンもいました。

 男性用小便器の朝顔は以前、とても高い位置にありました。そのためぼくはよく、上向きに放水しなければなりませんでした。高い朝顔はありがたいことに、もうほとんど見かけません。ドイツの公共トイレが、『国際化』したのかもしれません。

 ドイツではじめて公共トイレに入った時、えっととても驚きました。小便器の間に、仕切り板がないのです。ドイツ人男性はよく、恥ずかしそうにからだを斜めにして、隠すように用を足しています。ようやく最近になって仕切り板のある男性トイレも出てきました。しかし、まだまだ少数です。

 連邦議会の議事堂内で国会議員をインタビューした時、これはいい機会だと、議事堂内のトイレに入りました。そこでは小便器もみんなキャビンに入っていて、ドアが施錠できるようになっていました。これはすごいなあと思いながらも、国会議員と一般市民の格差を感じざるを得ませんでした。

 ドイツの駅や高速のサービスエリアの公共トイレは、入り口にゲートがあり、利用料金を入れないと入れません。それなりにきれいですが、まったく味気がなく、思いやりが感じられません。

 列車のトイレは昔に比べると、きれいになったと思います。しかしまだまだお世辞にも、合格点はあげれません。壊れているものも結構あります。

 ドイツの空港のトイレは、利用者が多い分、かなり汚いです。清掃が間に合わないのだと思います。

 最近読んだ新聞の記事に、飛行機の客室乗務員に機内のトイレの清掃もさせるとした航空会社に対して、労組が批判しているという記事が出ていました。しかし長距離便では、客室乗務員が定期的にトイレを清掃しない限り、機内のトイレはいずれ汚くなって、使えなくなります。あるいは、トイレ清掃員を搭乗させるしかありません。

 ぼくが昨年秋日本に行った時に乗った日本の航空会社の便では、客室乗務員がよくトイレに入るなあと思いました。これは、客室乗務員がトイレを清掃していたのだと思います。その便のトイレは、いつまでもきれいでした。

広告会社が運用しているベルリン市内の第二世代の公共トイレボックス

 ベルリンの街頭では、モダンなボックス型の有料トイレが目につきます。これは、広告会社が設置、運用している公共トイレです。この公共トイレでは、ベルリン市が公共トイレの質を向上させるために、市側が広告会社に公共トイレ用に市有地を提供し、公共トイレの外壁に広告することを認めています。市側はこうして、公共トイレのコスト負担を削減しています。

 今このボックス型公共トイレは、第二世代のトイレボックに代わりました。しかし第一世代のトイレに比べ、かなり数が減ったように感じます。これでは、公共トイレの数が足りなさすぎます。

 高齢化社会であること、さらに子育てにやさしい社会造りをすることを考えると、きれいで安全な公共トイレがあちこちにあることがとても大切です。社会のインフラだと思います。集合住宅の地上階にも、誰にでも使える共同トイレがあるべきだと思います。住民自治で運用されている協同組合住宅などでは、地上階に共同トイレを設置している集合住宅が見られるようになりました。

 たかがトイレ、臭い話だと思うかもしれません。しかしトイレは、生活必需品です。だからこそ、そこにどれだけ思いやりが込められているのか。それによって、社会の素顔が見えるように思います。

(2023年5月30日、まさお)

関連記事:
J – Oのベルリン便り「アッハソー」、1997年3月
協同組合住宅とは

関連サイト:
The Tokyo Toilet(日本語)

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