2024年2月17日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オペラ
ドヴォルザークのオペラ⟪ルサルカ⟫

ドヴォルザーク(ドヴォルジャーク)というと、交響曲⟪新世界より⟫しか思い浮かばない人が多いかもしれない。ドヴォルザークは交響曲を9作書いているのに対し、オペラを10作品も完成させている。オペラの作曲家であったともいえる。


そのオペラ作品の中で、最もよく知られ、よく公演されているのが⟪ルサルカ⟫だ。


水の精ルサルカが人間の王子に一目惚れし、魔法使いのイェジババに人間の姿に変えてほしいと頼む。そのための条件は、人間の姿ではしゃべれないこと、恋人が裏切ると恋人とともに水の底に沈んでしまうということだった。その条件を受け、人間になったルサルカは、王子の城に連れて行かれて結婚する。しかしその祝宴で王子は、口をきけないルサルカを見捨て、外国の王女に心移りする。


ルサルカは水の精(水の男)に湖に連れ戻されるが、イェジババは元の姿に戻るには、裏切り者の王子の血が必要だという。しかしルサルカは、そんなことはできないと拒否する。ルサルカを探しに湖にきた王子に対し、妖精たちが王子の罪を語り、王子はルサルカに抱擁してキスすることを求める。それは、王子の死を意味した。しかし王子は死を求めて執拗に抱擁とキスを求めるので、ルサルカは王子に抱きつき、キスをする。


アンデルセンの『人魚姫』とよく似た話の筋だ。その他の国にも、このようなおとぎ話がある。


演出は、ハンガリー人の映画監督でもあるコルネル・ムンドルチョ。舞台は、水の精がいそうな森と湖ではなく、西ベルリンのアパートの室内。湖はバスダブという設定だった。王子の城はその上にあるペントハウスだ。


おとぎ話なのに何だと思うかもしれない。しかしおとぎ話で恋に悩み、人間になっても喋ることことのできないルサルカの苦しみは、現代社会の抱える問題とうまい具合に二重写しになって見える。違和感どころか、とてもマッチしている。


ドヴォルザークの音楽のあちこちにはヴァグナーの影響が見られ、『ヴァグナー・ライト』という感じ。ただ深刻な音楽の後に必ずといっていいほど、民族的な明るい音楽が続く。そのコントラストがはっきりしているところは、ヴァグナー的ではない。


ぼくはかなり前に、ベルリン・コミッシェオパーで⟪ルサルカ⟫ を聴いている。その時は、こんなたいくつな音楽はあるかと感じていた。


ところが今回の国立オペラの公演は、ぼくの先入観を粉々に打ち砕き、⟪ルサルカ⟫ の大ファンにしてくれた。すばらしい作品だと思う。


指揮は、ベルリン・ドイツ交響楽団(DSO)の首席ロビン・ティチアーティ。ティチアーティを聴くのは久しぶりだが、首席就任当時比べ、かなり熟してきた感じがする。メリハリの聞いた、わかりやすい音楽になっていたと思う。そのわかりさすさが、おとぎ話と現代社会の舞台設定をうまく繋ぎ合わせてくれたともいえる。


歌手は、ルサルカ役のクリスティアーネ・カルクや水の精(水の男)役のミカ・カレスなど粒が揃っていた。欲をいえば、王子役のパヴェル・チェルノホの声がもう少し太いほうがよかった。


公演はカーテンコールにおいて、会場全体がスタンディングオベーションになるくらいの大成功だった。


ベルリン国立オペラでは昨年12月に、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席ヨアナ・マルヴィッツが⟪ばらの騎士⟫ を指揮するなど、いろんな意味で門戸が解放されてきた。アバドやラトルもベルリンフィルの音楽監督時代に、国立オペラで新演出の指揮を請け負ってきた。それが互いに、相乗効果をもたらしてきたと思う。


はたしてティーレマンが音楽監督になって、その伝統が受け継がれるのか。ぼくはかなり悲観的だ。


(2024年2月17日、まさお)
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関連サイト:
ベルリン国立オペラのサイト
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