ロベルト・シューマンの作品というと、何が思い浮かぶだろうか。多分、ピアノ曲や歌曲が多いと思う。『幻想小曲集』や「子供の情景』などのピアノ曲や、『リーダークライス』、『女の愛と生涯』、『詩人の恋』などの歌曲集。
管弦楽の作品になると、オラトリオ『楽園とペリ』を聞いたことのある人はいるだろうか。
交響曲というと、聞くのはベートーヴェンやブラームスばかりで、シューマンが交響曲を4曲作曲していることは、あまり知られていないのではないか。
ぼくはシューマンの交響曲を、何回か生で聞いているはずだ。だがこれまで、シューマンの交響曲というとピンとこない。
ペトレンコ指揮でベルリン・フィルがシューマンの交響曲第4番をやるというので、これはいい機会だと思った。
ただ正直にいうと、最初はどちらかというと、前半にペトレンコがモーツァルトの『戴冠ミサ』を指揮するというので、それを目当てにチケットを買ったのだった。
後半にシューマンの交響曲第4番が演奏されるのは、チケットを買ってから気づいた。ところがコンサートの日が近づくにつれ、ぼくはむしろ、シューマンの交響曲第4番のほうに関心を持つようになった。
ロマン派を代表するシューマンの交響曲といわれても、これまでなぜピンとこなかったのか。ぼくには、不思議でしようがなかった。
そこで普段はめったにしないが、コンサートの前にYouTubeで過去の録音をいくつか聞いてみた。それによって、シューマンの第4番には、2つの異なる解釈があることがわかった。
一つは、ゆっくりしたテンポで、どちらかというと暗く、くすぶったような響きにして、オーケストレーションも重く、鈍く感じるように演奏されたもの。その代表が、フルトヴェングラー指揮によるベルリン・フィルの演奏だった。しかしそれによって、心的な苦悩の深いところがより明らかになる。
ぼくは、それはすごい、見事だと思った。しかしそれでは、一般的には評価されないだろう、受けないだろうなとも思った。
もう一つは、テンポを比較的早くして、響きを明るくし、熱情的に感じるように演奏されたもの。こちらのほうが俄然多かった。だがそれでは、どうもピンとこない。印象が薄いまま、終わっている演奏が多かった。
ぼくは多分これまで、こういう演奏を聞いてきたのではないかと思う。
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ペトレンコ指揮によるベルリン・フィルのシューマン交響曲第4番演奏後のカーテンコールから |
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ペトレンコは、どういう解釈をするのだろうか。
シューマン交響曲第4番は1841年に、妻のクララ・シューマンの誕生日に合わせて完成している。数カ月で書き上げた。筆の速いシューマンらしい。しかし現在演奏される版は、その後に修正して10年後の1851年に出版されたものだ。今回も1851年版が演奏された。
ペトレンコの指揮は、テンポが比較的早く、響きも明るい。しかしペトレンコの指揮では、音楽がピンとこないことがない。
音楽の構成がはっきりと認識され、シューマンの音楽についていわれるように、単に詩的になっていたわけではなかった。天才の直感やひらめきによって音楽が書かれているのではなく、重厚に考え抜かれ、幅が広く、奥行きの深い音楽として解釈されている。
シューマンの妻クララに対する愛情がとても純粋で、妻への熱情がとても熱いものであることが感じられる。妻にそんな想いを持てるなんて、なんて羨ましいのだろう。
シューマンのピアノ曲や歌曲を思わせる部分もある。それが、シューマンの未熟さだと批判されることもあるらしい。しかしぼくには、その批判がわからない。ぼくはむしろ、人間として苦悩から理想を求め続けるシューマンの人間として幅の広さと成熟さを感じる。
ペトレンコのシューマンは、とても熱い音楽になっていた。人の心をつかみ、感動させたと思う。こんなシューマンの音楽は聞いたことがない。シューマンはまさしく天才だと、痛感させられた。
シューマンの交響曲でこんな思いができるとは、思ってもいなかった。ペトレンコに感謝するしかない。とてもいい気分で、会場を後にした。
(2023年5月09日、まさお) |