2022年2月22日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オーケストラコンサート
シューマンのオラトリオ〈楽園とペリ〉

ドイツ・ロマン派の作曲家ロベルト・シャーマンの作品というと、何が知られているだろうか。ピアノ曲や歌曲がメインではないだろうか。


シューマンの交響曲やオペラというと、聞いたことがないとか、そんなのあったのといわれる心配がある。シューマンは交響曲を4曲書いている。オペラもオラトリオも書いている。


そのシューマンのオラトリオ〈楽園とペリ〉を先日、ベルリン国立オペラで聞いた。フランス人のマルク・ミンコフスキ指揮、ベルリン国立オペラのシュターツカペレの演奏。ミンコフスキは、急に簡単な手術をしなければならず、キャンセルしたサイモン・ラトルに代わって指揮をした。


ドイツでも現在、〈楽園とペリ〉はほとんど演奏される機会がない。ぼくにとっては、2回目だった。最初はもう、いつだったか記憶にない。アバド指揮で、ベルリフィルの演奏だったと思うが、記憶は定かではない。


シューマンは、ドイツ・ロマンを代表する作曲家。シューマンの作品の中でも、〈楽園とペリ〉は単に大作でへなく、傑作中の傑作。シューマンの代表作に数えられていいはずだ。それなのになぜ、演奏されなくなったのか。ぼくには、よく理解できない。


コンサートプログラム
ベルリン国立オペラの公演プログラム

〈楽園とペリ〉は、アイルランドの詩人トマス・モアの『ララ・ルク』を元にしている。罪を犯したことで天国から追放された妖精ベリは、天の思いを満たす贈り物を持ってくれば、再び天国に戻ることができる。


ペリはまずインドで、暴君に反旗を翻して死んだ若者の血を持っていく。しかし天では、受け入れられない。次にエジプトのナイル川の畔で、ペストで死にかかっている恋する若者と共に死ぬ乙女の最後の息を持っていく。それも認められない。最後にシリアで、清らかなこどもの姿を見て自分の罪を深く後悔して涙する罪人の涙で、はじめて天に受け入れられ、天の門が開けられた。


オペラの題材として東洋的なものを探していたシューマン。オリエントの内容は、ぴったりだった。ただオペラにするには、あまり劇的でないとして、オペラではなく、オラトリオにしたのだった。


シューマンは〈楽園とペリ〉を、1843年に作曲した。オラトリオにもかかわらず、従来のように内容を説明するようなレチタティーヴォはない。全曲を通して作曲され、すでに人物や状況表示と結びつけられるライトモチーフ(主題)が使われている。ヴァグナーがちょうど、自分の作品にライトモチーフをイメージして、作曲し出した時と重なる。


ぼくは〈楽園とペリ〉を、バロック時代であれば、十分オペラの題材になると思っていた。それを下手にドイツ・ロマン派の音楽だからと、超ロマンチックに演奏するから、オペラにはならないのだ。


その点で今回、バロックオペラを中心に、古典派、ロマン派の作品も得意とするミンコフスキを代役に起用したのが的中したと思う。


指揮のミンコフスキはフランス人。ぼくはベルリン国立オペラで、ミンコフスキ指揮でグランド・オペラの第一人者マイアベーアの〈悪魔のロベール〉を聞いたことがある。ミンコフスキは〈楽園とペリ〉を単にロマンチックにするのではなく、それを乗り越えて、フランス・オペラの伝統であるグランド・オペラに仕立て上げてくれた。


テンポが著しく変化し、早いところはこれでもかと、滅法早い。音楽は生き生きとし、とてもダイナミックだ。オーケストラの演奏では、歌曲のように、歌詞のドイツ語のアーティキュレーションに合わせて抑揚がつけられている。これは、見事というしかない。


ソリストの歌手も、メインのルーシー・クロウ(ペリ役、ソプラノ)とアンドリュー・ステイプルズ(テノール)がイギリス人とドイツ人ではないのに、ドイツ歌曲をしっかりと歌える。バスのオーストリア人フローリアン・ベェシュのソロも、とても味わいがあった。


シューマン音楽の単にロマンチックではない良さを味わうには、絶妙な機会だった。


(2022年2月22日、まさお)
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〈楽園とペリ〉(全曲)
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