2019年5月21日掲載 − HOME − 脱原発一覧 − 記事
ドイツ反原発運動の源泉

先日、ヴォルフガング・エームケさんの話を聞くことができた。


ヴォルフガングさんは長い間、ドイツ北部のゴアレーベンに高レベル放射性廃棄物の最終処分地が設置されることに反対してきた。元は、学校の先生だったと記憶する。


ゴアレーベンは、ヴォルフガングさんの生活するヴェントラント地方にある。1977年にゴアレーベンを高レベル放射性廃棄物の最終処分地にすると政治発表されたことに猛反対して、反原発運動に入ったのだった。


ドイツの反原発運動は、1970年代中頃のヴィール原発の建設反対運動からはじまると思っている人が多いかもしれない。でもヴォルフガングさんは、70年代はじめのフェッセンアイム原発の反対運動からはじまったとする。


フェッセンアイム原発は(西)ドイツとの国境沿いに設置されたフランスの原発。その反対運動に、(西)ドイツからもたくさん参加していたのだという。


なるほどと思ったのは、(西)ドイツで反原発運動が起こるきっかけについて、ドイツの核武装への危惧だったと語ったことだ。


(西)ドイツは、1950年代半ばに再軍備し、NATO(北大西洋条約機構)に加盟した。当時、(西)ドイツの核問題大臣を経て国防大臣になったのが、フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスだ。(西)ドイツの核利用を推進した超保守派政治家だった。


ちょうど、米国アイゼンハワー大統領が核の平和利用を主張した時期と重なる。シュトラウスが、(西)ドイツの核武装化を進めるのではないか。原発建設計画が発表され、それが現実となる。そう思った市民は少なくない。


それが、ドイツで反原発運動が長く続いた源泉だった、とヴォルフガングさんは語る。


過去を振り返ると、ヴォルフガングさんは「反原発運動に中心となる主要人物は必要なかった。みんなで一緒に戦略を議論して進めていった」という。それが、とても大切だったと感じている。


ヴォルフガングさん自身は、ロベルト・ユングと直接話をしたこともある。それによって、大きな影響を受けた。ロベルト・ユングは、「原子力帝国」などの著書で知られる作家・ジャーナリストだ。


各地で起こった反原発運動をどうネットワーク化するのか。それが最も大切だった。ヴォルフガングさんは、反原発運動は単なる主張だけでは成り立たないという。日頃から、反原発の輪を地道に広げていくのが大切だ。


ゴアレーベンには、英仏からの高レベル放射性廃棄物が輸送されてきた。その度に、ドイツ全国からたくさんの人が集まって、大きな反対デモが起こった。それによって、ドイツの反原発運動はその主張、存在感を示す機会を得ていたともいえる。


ヴォルフガングさんは、「(それによって注目されたのは)幸運だった」ともいう。ただ、その機会をうまく利用するために十分に戦略を練っていた。


ドイツでは、2022年までにすべての原子炉を停止することになった。


でも、最終処分地の選定問題をはじめてとして、中間貯蔵と最終処分の問題はまだ解決されていない。さらに、ウラン濃縮や核燃料の製造も続いている。


ヴォルフガングさんは、「反原発運動は終わっていない」と語る。


続く

(2019年5月21日)
記事一覧へ
この記事をシェア、ブックマークする
このページのトップへ