2021年4月27日掲載 − 脱原発
チェルノブイリ原発事故から35年を思う

今から35年前、チェルノブイリで原発事故が起こった。その時ぼくは、東ドイツの首都ベルリン(東ベルリン)で働いていた。そのために1985年、日本から東ベルリンに渡っていた。東ベルリンで建設工事をする日系企業で、仕事を見つけたからだった。


渡航してほぼ1年後に、チェルノブイリ原発事故が起こる。


東ドイツでは、原発事故に関してまったく報道されなかった。原発事故があったことがわかってから数日後に、こどもを砂場で遊ばせないようにと、急に国から指示がでた程度だった。でも、それがなぜなのか。説明されなかった。


当時は東ベルリンにいても、西ドイツからのテレビニュースを受信することができた。だから東ドイツ市民は、何が起こったのか知っていたと思う。ぼくは東ベルリンにいながらも、西ベルリンの地方新聞を購読していた。だから、西側から流れる事故の報道内容は知っていた。


ただ当時、原発事故が何を意味するのかはよく理解していなかったと思う。


それから6年後、統一されたベルリンで世界核被害者大会が行われた。ぼくはその時、大会を資金援助する日本の団体のお目付役のような形で大会の実行委員会理事をしていた。


大会では、チェルノブイリ原発事故問題よりも、冷戦終結で旧ソ連のセミパラチンスク核実験場の被害者をどう救済するかのほうがメインのテーマだった。そのため、セミパラチンスクからたくさんの関係者を呼んていた。でも、チェルノブイリ原発事故のことも忘れてはいなかった。ウクライナから、エネルギー大臣を招聘していた。


大会も終わりに近づいた頃、ウクライナ・エネルギー大臣のスピーチがあった。その時、大会が騒然とする。大臣が原子力発電を止めるどころか、原子力発電がウクライナにとって重要だから、原子力発電を促進すると発言したからだった。


大会会場の大ホールに集まった観客には、信じられなかった。大臣にくってかかる参加者もいた。


ドイツが2000年に脱原発で電力業界と合意した後だったと思う。ウクライナが老朽化した石炭火力発電所に代わる発電所を建設する時、ドイツ政府は天然ガス発電所の建設を提案する。そのために財政支援もすると約束した。でもウクライナ政府は、ドイツのオファーを受けなかった。


それはなぜか?


それは、ウクライナがエネルギーをロシアに依存したくないからだ。ウクライナは、天然ガスと石油の供給をロシアに依存している。だから、原子力発電に依存することがロシア依存から脱皮する重要な要素だと見られている。ウクライナでは実際、原子力発電が発電の半分以上を占める。


でも、ここにもネックがある。ウクライナで稼働する原発はすべて、旧ソ連によって設計、建設されたものだからだ。核燃料も、多くをロシアに依存する。確かに今は、米国ウェスティングハウス製の核燃料も採用している。しかしこれには、ウェスティングハウス製の核燃料が旧ソ連製の原子炉には合わないという技術的な問題がある。チェコにある旧ソ連製の原子炉でも、同じ問題があった。それは、チェコの現地の原発関係者から直接聞いた。


この点でいくら原子力発電を促進しても、ウクライナが望むようにはエネルギーのロシア依存からは脱皮できない。


ウクライナの冬は寒い。そのためには、十分な熱を供給する必要がある。不可能ではないが、原子力発電では十分な熱(廃熱)を供給できない。熱供給においてはどうしても、ロシアの天然ガスに依存しなければならない。


原発事故の被害は今も、それほど改善されていないと思う。依然としてたくさんの人が、放射能の影響に苦しみ、不安を抱いて暮らしている。それを思うと、心が傷む。


だからといって、再エネのような新しいエネルギーを導入すれば、すぐに問題が解決するわけでもない。そのためには、莫大な投資が必要だ。でもロシアとの政情が不安定な状況で、一体誰がウクライナで投資しようとするのか。


ウクライナが脱原発できない背景には、複雑な事情がある。


(2021年4月27日)
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関連サイト:
国立チェルノブイリ博物館(日本語ページ)
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