2022年12月01日掲載 − HOME − 脱原発一覧 − 記事
原発の運転期間をまた延長するって本当?

2011年のフクシマ原発事故後に、原発の運転期間を1回限りに限定して20年間延長し、総運転期間を60年にまで延長できることになった。今それが、さらに延長される見通しだ。


運転期間を原発が実際に稼働していた期間と定義して、安全審査や提訴などによって停止していた期間などを運転期間と換算しないことになるという。


日本の原発では、燃料交換と定期的な安全検査のために年間約1カ月停止される。ということは、原発を60年間運転すると、最低6年間さらに運転できることになる。


運転期間が60年に延長された時、延長の基盤として10年ごとの安全性評価が規定された。安全性評価は、原発の高経年化(老朽化)に向けて、原発の機器や構造物などの劣化状況を把握して、安全かどうか審査するものだ。


原発が運転期間40年をベースに設計されているとはいえ、運転期間を40年や60年と法的に規制することは、実はまったくナンセンス。それは、現場の原子炉ごと、さらに機器ごとに劣化の状態はまったく異なるからだ。そのためには、現場において安全性評価を行い、その劣化状態を十分に把握しなければ、原発の安全性は保証できない。


原発の高経年化に向け、日本もようやく、国際標準である10年ごとの安全性評価を基盤として安全性を審査する体制に入ったかと思った。


しかしその安全性評価は完璧なものではなく、それで必ずしも安全性が保証されたことにはならない。それはすでに、本サイトでも何回にも渡って指摘した(以下の関連記事を参照)。


はっきりいうと、今回の延長はまったくもって許し難い。それは特に、以下の観点からだ。


というのは、原発を停止させるのは安全のためだからだ。安全審査であろうが、メンテナンスや燃料棒の交換、裁判で停止されるのは、すべて原発の安全に関わる問題だからだ。


その意味で、停止は原発の安全な運転と電力の安定供給を保証する。運転期間の一要素といっていい。それを運転期間から排除するのは、原発の安全哲学から離脱することを意味する。原発の安全性は、どうでもいいといっているのと変わらない。


そういうと、いやそのほうが時間にこだわらずに、じっくりと安全審査をできるようになり、より安全性が正確に評価される可能性が生まれると反論されるかもしれない。


それは、まったくの詭弁だ。安全性は元々、時間に追われて評価されるものではない。前述したように反論するのは、これまで安全性が十分に時間をかけて審査されてこなかったと認めるのと同じだ。


リンゲン原発
ドイツ北西部のリンゲン原発の原子炉。この原発はドイツ初期の原発で、10年余り稼働した後に廃炉となった

ぼくが理解できないのは、たとえ原発の運転期間を延長しても、決してコスト削減にはならないからだ。高経年化とともに、たとえば原子炉内にある蒸気発生器などの機器が取り替えなければならないこともある。


運転期間を延長するとしても、そのために投資する額はばかにならない。それを残りの運転期間によって、十分に減価償却できるのか。


また原発では、常にその時点での最新の技術と知見によって原発を改造、修理しなければならない。それが、国際標準であり、法的にもそう規定されている。


そこで問題になるのは、建設時からある古い技術が新たに使われる新しい技術とうまくマッチするかどうかだ。その保証はない。それをマッチングさせるために、さらに投資しなければならなくなる。


それでコスト便益効果があるのかどうか、とても疑問だ。


今回さらに運転期間を延長するのは、カーボンニュートラルを実現する上で、原発が脱炭素化のための重要な要素になっているからだと思う。


日本では現在、フクシマ原発事故により、原発を新設することはできない。それに代わり、既存原発をできるだけ長く使って、新設反対の世論がおさまるのを待つ時間稼ぎとも取れる。同時に、次世代原発が登場するまでの、時間稼ぎとも取れる。


それには、いくつかの問題がある。


一つは、常に発電電力量が一定の原発とその変動の大きい再生可能エネルギーは両立しないということだ。この点はすでに、本サイトでも常々指摘してきた。脱炭素化において原発に依存すると、再エネの拡大を妨害する。


たとえ新世代原発が10年先に実用化されたとしても、それが実際に稼働するのは、いかに楽観的に見ても2040年代後半だと見られる。


ただ既存原発の運転期間を引き延ばせば引き延ばすほど、後でよりたくさんそれに代わる原発を新設しなければならなくなる。それだけ新原発の需要が高まる。しかし原発は、同時期にそんなにたくさん建設できるものではない。


その結果は、明らかだ。既存原発の運転期間を無制限にしない限り、原発は新設によって交換することができなくなる。いずれ、原発の運転期限を無制限にすることを政治決定しなければならなくなる。


原発の運転期間を延長するには、大きなコスト負担が伴うことはすでに述べた。原発を新設するには、それ以上にコストがかかる。


それに対し、再エネは燃料費がかからない上、設備投資額も低い。再エネ普及とともに、再エネの発電コストは学習効果で、より安くなる。


それに対して、古い技術の原発には学習効果で発電コストが安くなることは期待できない。


原発に依存すればするほど、原発の発電コストは再エネのコストには敵わなくなる。日本が原発に依存する限り、日本は発電コストにおいて国際競争力を失っていくのは間違いない。


原発に依存する限り、日本はものつくりの国として国際的に生き残っていくのがより難しくなる。


このままいくと、日本は観光国として生き残っていくしかないのかなあと思ってしまう。しかしそれで、これまでの豊かさは維持できるのか。


原発の運転期間延長は、目先しか見ていない短絡な政策でしかない。政府に、長期的なコンセプトがないのが悲しい。


(2022年12月01日)
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関連サイト:
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原子力規制委員会トップページ
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