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ドイツ環境省(正式名称は現在、連邦環境気候保護自然保護原子力安全省(BMUKN))ができて、2026年6月6日で40年となった。
この40年という数を見て、ああそうだったのかと思うかもしれない。ドイツ環境省は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故をきっかけに設置されたのだった。
ドイツがチェルノブイリ原発事故の影響を受けていたのは、拙書『ドイツ • 低線量被曝から28年 チェルノブイリはおわっていない』(2014年言叢社刊)で明らかにしたが、チェルノブイリ原発事故とそれに伴う原子力発電からの撤退(脱原発)は、環境省なくしては実現できなかったと思う。
原発事故問題に並行して環境省設置の重大な課題はまず、ゴミを少なくして廃棄物を資源と見て、再利用、リサイクルする循環経済を確立することだった。ドイツの循環経済の哲学は今でこそ当たり前だが、当時としては先駆者だったといっていい。この点では、日本はドイツをお手本にしている。
1990年当初からは、前述した2つの課題と並行して、風力発電を中心として再生可能エネルギーを促進し出す。その後2000年には、それを太陽光発電、バイオガス発電に拡大して、再エネで発電されたグリーン電力を固定価格で買取ることを義務付ける再生可能エネルギー法が施行する。
固定価格買取制度(FIT)といわれる再エネを促進するメカニズムは、これも世界のお手本になって世界中に拡大した。
現在ドイツでこれほどまで再エネが拡大したのは、このFIT制度なくしては考えられない。
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| ドイツ環境省ベルリンの建物 |
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公害問題も忘れてはならない。
環境シンクタンクのアゴラによると、ドイツは二酸化炭素など温室効果ガスの排出を2025年までに1990年比で50%弱削減した。しかしドイツは1990年比で、2030年までに温室効果ガスの排出を最低65%削減することを目標にしているが、現時点では目標を達成できないとする見方が一般的だ。
しかしここまでこれたのは、環境政策と経済政策を同時に進行させない限り、ドイツ経済に未来はないとの立場から、経済界と積極的に対話して経済界を説得してきたからだ。
ぼくは1990年代に環境省の気候保護問題の担当者と話したことがあるが、環境団体、労働団体、経済団体、社会団体と多様に対話して政策を立案しない限り、環境政策は成り立たないといわれ、びっくりしたことがある。
「持続可能な経済」ということばが出てきて、この問題が積極的に議論され出したのも1990年代だったと記憶する。
こうして見ると、チェルノブイリ原発事故をきっかけにできた環境省が、ドイツの政治において重要な役割を果たし、ドイツの政治をリードしてきたともいえる。
環境省の過去を振り返ると、現保守中道メルツ政権が経済優先を表に出して、環境は二の次のようになっているのは、環境省ができる前の政治に逆戻りしているように見えてならない。
なおドイツ環境省は、旧西ドイツの首都ボンとドイツ統一後の首都ベルリンに分かれて設置され、正式には本省はボンになっている。しかし環境大臣はベルリンで執務しており、実質的にはベルリンが本省のような役割を担っている。
(2026年6月22日)
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