ドイツ東部では今年2024年9月、ザクセン州、チューリンゲン州、ブランデンブルク州の3州において州議会選挙が行われた。
選挙の結果、極右政党として治安当局に監視されている「ドイツのための選択肢(AfD)」が3州において、ともに30%を超える得票率で大躍進。ザクセン州とブランデンブルク州ではかろうじて第1党となるのは免れたが、チューリンゲン州ではAfDが他党を引き離して第1党となった。
ぼくは2015年に出した拙書『小さな革命、東ドイツ市民の体験、統一プロセスと戦後の2つの和解』において、ドイツ東部がドイツ西部で存在意義を失った極右勢力の温床となると書いた。しかしそれから10年近くの間にドイツ東部において、極右政党がこれほど台頭してくるとは思ってもいなかった。
ヨーロッパ大陸ではイタリアやオランダ、オーストリア、北欧諸国、フランスにおいて極右政党が勢力を拡大し、政権政党にまでなっている国が増えている。その現状を見ると、ドイツもようやくそうなってきたかともいえる。
しかしナチス台頭の過去を持つドイツでは、その過ちを二度と繰り返さない対策がいろいろ講じられてきた。今回の選挙がドイツ統一後にドイツに吸収されたドイツ東部とはいえ、なぜここまで極右勢力が拡大したのか。これから数回に渡って、その背景を考えてみたい。
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週末、ベルリン近郊の湖でカヌーを楽しむカップル。 社会はどういう方向に進んでいくのだろうか |
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まず今回の3つの州議会選挙では、新しい現象も現れている。
それは、数ヶ月前に設立されたばかりの「サーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(BSW)」が10%を超える得票率を得て、はじめて議席を獲得するどころか、州レベルで政権入りする可能性も高いことだ。
BSWは、東ドイツ出身で共産主義的な考えを持つサーラ・ヴァーゲンクネヒトという個人を全面に出した政党というよりは、プラットフォーム的な政治基盤でしかない。
政治的には極左的だが、親プーチン、難民受け入れ拒否、反NATO、反EU、ウクライナへの武器供与停止、ロシアの意向に沿ったウクライナ戦争の停戦など、政治的に極右のAfDと大きな違いはない。
メディア露出を増やして、人気を得ているのも似ている。事実に基づかないフェイク情報を広めて、扇動しているのも似ている。
その点で政治主張に違いはないが、AfDが極右ポピュリズム、BSWは極左ポピュリズムだといっていい。
今回の3つの選挙でAfDとBSWが獲得した得票率は、どの州においても40%を超えて過半数近くになるからすごい。
過半数に近いドイツ東部の有権者がポピュリズム政党に投票したのは、なぜなのか。
ここには、ドイツ東部の特殊性があるといわなければならない。
東ドイツは複数政党制だったが、実際にはドイツ社会主義統一党(SED)が独裁支配し、その他の政党は衛星政党でしかなかった。
SEDは現在の左翼党の前身になるものだが、統一後のドイツ東部において左翼党の党員は当時の党員を失うばかりか、残った党員の高齢化も激しく、左翼党の党員は大幅に減少している。
中道保守系のキリスト教民主同盟(CDU)と自由主義系の自由民主党(FDP)は東ドイツにおいて、その前身となる衛星政党を持っていたが、両党ともにドイツ東部において党員数が多いとはいえない。
この状況からわかるように、各政党は統一後、ドイツ東部において地道な政党活動を行わず、党員獲得に十分な努力をしてこなかったことがわかる。その結果ドイツ東部においては、社会と市民の政党へのつながりがないか、とても薄い状況となっている。
それは、どういうことを意味するのか。
ベルリン・フンボルト大学の社会学教授で、東ドイツ出身のシュテッフェン・マウ教授は、政党へのつながりが薄いと、有権者はポピュリズムに影響を受けやすいし、感情によって投票しやすくなるという。
教授は、この政党へのつながりの薄さがドイツ東部においてAfDとBSWが台頭する一つの背景になっていると指摘する。
もちろんそれだけで、AfDとBSWの躍進を説明できるわけではない。これから順次、その他の要因についても考えてみたい。
(2024年10月01日) |