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東ドイツ時代、冬になるとスーパーマーケットには生野菜やくだものがほとんど並ばなくなった。それは、温室栽培されたものが輸出用で、国内に流通していなかったからだ。
これは、野菜やくだものはその季節にしか手に入らなかったということでもある。冬は、酢漬けになった野菜などを食べるしかなかった。
くだものは元々、あまり手に入らなかった。りんごは秋になるといつもあったが、次第に悪くなり、いずれなくなった。後はキューバ産のオレンジかバナナくらいしかない。どれも青いままで、オレンジなどはかちんかちんに固かった。
イチゴとスイカは、シーズンになると手に入るが、スーパーにはなかった。町の一角に長い行列ができることがある。そこには、普段手に入らないものが必ず販売されている。それが、イチゴやスイカだった。運悪くそういう場に遭遇しないと、イチゴやスイカはまったく食べれなかった。
ぼくがくだものの代わりによく食べていたのは、赤黒いトマトだった。小さな黒々としたトマトだか、それがとてもトマト臭くておいしい。このことは、拙書『小さな革命・東ドイツ市民の体験』の「黒いトマト」の項(194ページ)にまとめて書いたことがある。
こういう物のない時代だから、イベントの福引の景品が野菜だったりした。景品の野菜はそれなりに大きく、きれいだった。しかしスーパーに並ぶ野菜は小粒で、形もまちまち。まっすぐなものはほとんどないといってもいい。きれいに洗ってないので、見た目にもかなり汚かった。
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旧東ドイツのくだもの。ベルリンの文化ビール醸造所内博物館の東ドイツの日常展から |
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現在、野菜やくだものはいつでも手に入る。でもぼくには、季節にしか手に入らず、汚れていたり、傷んでいる野菜やくだもののあった東ドイツの時代のほうが豊かだった。
それは、当時の野菜やくだものには自然が満載され、おいしかったからだ。味も濃く、それぞれ独特の香りもした。野菜とくだものによって、季節の変化も感じられた。
しかし今、野菜やくだものはいつでも手に入る。温室栽培されたり、季節が逆の南米など南半球からくるからだ。そのため、野菜やくだものは十分に太陽からエネルギーを吸収していない。だから味は薄いし、水っぽい。
それでも、日本の野菜やくだものよりはましだ。日本のものは形もきれいだし、見た目にもピチピチしていて新鮮そうだ。しかし、こちらの野菜やくだものよりも格段に水っぽい。それぞれ独特の味もしないといってもいい。水栽培しているのではないかと疑問に思うくらいだ。
特に日本のくだものは、品種改良の味がして、自然ではない。
日本で食事をしてもおしいと思わくなっているのは、自然な素材の味をもう感じることができないからではないか。
日本ではよく、季節の風味といわれる。見た目にはそうかもしれないが、そんなものはもう日本では味わえないのではないか。
それが、今の日本のグルメの現実ではないのだろうか。
確かに日本では、いつでも『おいしいもの』を何でもかんでも食べれるようになった。しかし、その便利さに騙され、本来の味と豊かさを忘れてしまっていないだろうか。
こちらでは今、オーガニックの野菜やくだものが結構、手頃な値段で簡単に手に入るようになった。物と時期によっては、オーガニックのもののほうが安いこともある。そこには、東ドイツ時代に味わうことのできた味の濃さ、季節の風味、自然の豊かさを感じることができる。
しかし日本ではオーガニックがまだ十分普及していないし、この豊かさをみんなで分かち合えるとは限らないのも寂しい。
(2025年10月07日) |