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ベルリン国立オペラは、大きなオペラハウスとしては珍しく、貴重な存在だった。
それは、90年代から毎シーズン、バロックオペラの新演出を取り上げてきたからだ。ただオペラハウスにとって、バロックオペラを取り上げるのは簡単なことではない。
バロックオペラを本気で公演するなら、ハウス専属のオーケストラではなく、バロック専門のオーケストラが必要だからだ。
その時、専属のオーケストラはどうするのか。遊ばせておくとコストがかかる。専属のオーケストラでバロックオペラをやると、古楽器を使わないし、演奏方法も異なるので、バロック専門の指揮者を呼んできても、限界がある。となると、演奏旅行に出すしかない。
しかし演奏旅行となると、その引き受けてが必要になる。
バレンボイムが音楽監督の時代は、それがうまい具合にオーガナイズできた。だからこそ、ベルリン国立オペラがバロックオペラを取り上げる得意な存在になれたのだと思う。
さらに、バロック音楽を専門とする指揮者のレネ・ヤコブスがバロック音楽専門のオーケストラと歌手を集めてこれたので、2つの歯車がうまく噛み合って機能したのだと思う。
ところがバレンボイムが退任して、ティーレマンが後任の音楽監督になると、この90年代から続いてきたバロックオペラの伝統はばっさりと切り捨てられてしまった。
対照的にベルリンフィルがバロック音楽を取り上げたり、バロック音楽専門の指揮者とオーケストラを客演で呼んだりする頻度が多くなってきた。しかし、国立オペラとヤソブスがバロックオペラ公演を続けてきた時の感動はもうない。
だからぼくは、バロックオペラに飢えてきている。ちょうどレネ・ヤコブス指揮、フライブルク・バロック・オーケストラ演奏でヘンデルのオペラ⟪タメルラーノ⟫をベルリン・フィルハーモニー小ホールにおいてコンサート形式で上演するというので、ぼくは躊躇せずにチケットを買った。
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ベルリン・フィリハーモニー小ホールでの⟪タメルラーノ⟫公演後のカーテンコールから |
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オペラ⟪タメルラーノ⟫は、タタール皇帝タメルラーノとそれに敗れたオスマン皇帝バヤゼットと娘のアステリアの物語。
タメルラーノはトレビソゾンド王女イレーネという婚約者がいながら、囚われの身のアステリアに一目惚れ。結婚を望む。しかしアステリアは、今タメルラーノに仕えるギリシア王子アンドロニコと愛し合っている。
バヤゼットはオスマンの血がタタールの血と混じってはならないと結婚に猛反対するが、アステリアは結婚に同意する。タメルラーノに近づいて暗殺する目論見があったからだ。
しかしその策略もタメルラーノの知るとこととなり、タメルラーノはアステリアを奴隷にしようとする。
アステリアは父からもらった毒でタメルラーノを暗殺しようとするが、イレーネに止められ、毒を飲んで自殺しようとする。それもアンドロニコに止められた。
イレーネはタメルラーノにみんなを許すようすすめ、タメルラーノはバヤゼットを呼び出すが、すでに毒を飲んでおり、亡くなってしまう。アステリアとアンドロニコも自殺しようとするが、タメルラーノはアンドロニコにアステリアと結婚してビザンティウムで即位することを認め、ハッピーエンドに終わる。
といっても、バヤゼットが舞台上で死んでしまうのは、バロックオペラとしてはとても珍しいこと。さらにハッピーエンドで終わる最後の合唱も暗いのだ。
オペラ・セリアでシリアスな物語なのだからといってしまえばそれまで。しかし作品全体に感じる暗さは、バロックオペラでは異端だといわなければならない。
ぼくはめったに聞けない作品だし、バロックオペラに飢えていたし、ヤコブスの指揮とあって、結構期待していったのだが、残念ながら期待外れだった。
歌手はそれぞれ粒が揃っていたが、オーケストラが勉強不足で、作品がよく理解されていなかった。ヤコブスの指揮は単純なように見えても、すごく細かく指示されているのがわかるのだが、オーケストラがついていけない。特に前半がひどかった。もう帰ろうかと思ったくらいだった。
フライブルク・バロック・オーケストラはバロック・オーケストラとして知名度が高いが、正直これまでいいと思ったことがない。今回もそうだった。バロック音楽の生き生きとしたところがうまく出せないのだ。これまでベルリン国立オペラにおいて、ヤコブス指揮・ベルリン古楽アカデミー演奏で、バロックオペラをこれでもかと満喫してきただけに、物足りないと感じてしまう。
まあ後半は持ち直したので、それで我慢するかと消化不良を感じながら会場を出てきた。
11月末にはベルリンで、ウィリアム・クリスティ指揮|レザール・フロリサン演奏でヘンデルの作品を聞けるので、それを楽しみに待っている。
(2025年8月27日、まさお) |