オラトリオも、バロック音楽の典型的な楽曲形式の一つだ。17世紀に、オペラとほぼ平行して発達したものと思われる。バロックオペラを作曲した作曲家のほとんどが、オラトリオも作曲している。
オペラと違うのは、舞台道具はないし、演技もつけないことだ。歌詞にドラマ性があるが、題材が宗教的であることもオペラと大きく違うところ。
しかし現在、当時のオラトリオをオペラのように劇化して、オペラ上演されるケースが増えてきている。キリストの受難を取り扱うバッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲でさえも、オペラ化されて上演されることもある。
オラトリオは、教会の教理問答の一部で、読み書きできなくても、宗教の教えを伝えることができるように考えられたものだと思われる。それによって、瞑想することも考えられていたのかもしれない。
宗教的な題材とはいえ、そこにはしっかりしたドラマがある。
ドラマは、主にレチタティーボとアリアで語られる。まれに2重唱もあるが、それは18世紀になってからのことだと思われる。
オラトリオのドラマ性は、十分にオペラとしての題材となる。だから現在、オラトリオがオペラ劇として上演されるのは、不思議なことではない。宗教的な内容であっても、題材として十分に現代社会に読み込んで反映させることもできる。
ぼくは先日、ベルリン国立オペラでアレッサンドロ・スカルラッティのオラトリオ〈最初の殺人(Il Primo Omicidio)〉を見た(2019年11月1日プレミエ)。指揮はルネ・ヤコブス、演出、舞台装置、衣装はロメオ・カステルッチ。
スカルラッティは、オペラを120曲書いたといわれる。だが、残っているものが少ない。このオラトリオは1707年に書かれたもの。だが、ほとんど上演されていないといわれる。楽譜は1964年に再発見され、その後に上演されるようになった。
物語は、タイトルからもわかると思う。旧約聖書「創世記」に登場するアダムとイブの息子たち、カインとアベル兄弟の説話だ。人類最初の殺人者とその犠牲者の物語だ。
ぼくは、宗教的なものは好まない。でもたとえばバッハの受難曲やオラトリオは、宗教曲としてではなく、音楽作品として聞けば、この上なくすばらしいものであることがわかる。宗教の物語も、ドラマとして見れば、宗教性以上の劇的なすばらしさがある。
宗教的なものだからと、喰わず嫌いするのはもったいないと思う。
スカルラッティの〈最初の殺人〉は当初、オペラとする予定だったといわれる。しかし教会の反対で、オラトリオとしてそのドラマ性を削って完成させたという。
弟のアベルを殺害したカインは、悪者なのか。カインはなぜ、アベルを殺したのか。憎しみからか、それとも愛が嫉妬させたのか。そう思うと、カインはわれわれ自身の中にも存在しないのか。
旧約聖書の説話は現実のテーマとして、しっかりと現代と結びつく。そう思うと、アントニオ・オトボニのテキストが、とても重いものに感じられる。これは、単なる宗教的で、神聖なものではない。そこには、人の葛藤が描かれている。
スカルラッティは、オーケストラについて楽譜では何も指示していなかったという。オーケストレーションも、現代の即興性に委ねられている。
スカルラッティの音楽は、モーツァルトなど古典派の音楽に通じるものを感じる。特に第2幕の音楽は、神聖さに加えて、暴力に関わるダイナミックで、劇的な面も兼ね備えている。
400年以上も前のほうが 人間的で、感情が豊かであったのように。
(2019年11月25日) |