2023年4月04日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オペラ
モーツァルト『イドメネオ』と神々の首

モーツァルトの『イドメネオ』というと、2003年にベルリン・ドイツオペラにおいて上演された新演出公演のことが忘れられない。


話の筋からすると、最後にイダマンテがイリアと一緒になって王となり、ハッピーエンドで終わる。ところがフィナーレの後の静かな舞台上に、ポセイドーンとイエスキリスト、ムハンマド、ブッダの首から斬り取られた頭部が次々に白い椅子の座に並べられていく。そして、幕となるのだった。


物議を醸し出したのは、いうまでもない。後のシーズンで再演される時には、公演に反発するイスラム派による攻撃の標的になるのではないかと、公演が一時中止になるほどだった。


演出は、いつも斬新な解釈をする演出家ハンス・ノイエンフェルスだった。そのノイエンフェルスが亡くなってちょうど1年。今度はベルリン国立オペラにおいて、『イドメネオ』の新演出公演があった。


この新演出公演は元々、2020年3月に予定されていた。だがコロナ禍で劇場がすべて休館になったことから、公演は中止されていた。3年後にようやく、実現されたのだった。


演出は、スコットランド人のデイヴィッド・マックヴィカー。指揮は、サイモン・ラトルだった。


話の筋はこうだ。


クレタの王子イダマンテとトロイアの女王イリアは国が敵同士だが、お互いに好意を持っている。イダマンテの父のクレタ王イドメネオが帰還する時、嵐にあって九死に一生を得る。イドメネオはその時、海神ネプチューンの怒りを鎮めるため、上陸してはじめて会った人物を生け贄にすると誓った。


それがよりにもよって、息子のイダマンテだった。


その事実を打ち明けることのできないイドメネオ。生け贄を躊躇する。しかし海神は生け贄を求め、嵐をを引き起こしたり、怪物が現れる。その事実を知ったイダマンテは、怪獣を退治して戻ってくる。そして父に、自分を生け贄にするよう求める。


すると、王が退位してイダマンテが即位し、イリアと一緒になるよう海神の神託が告げられた。


市民はそれを祝福し、物語はハッピーエンドに終わる。オペラでは、よくありそうな話の筋だ。


一幕では、ラトルと歌手の呼吸がまったく合っていなかった。歌手がかわいそうなくらいに、歌いにくそうにしている。オーケストラの音も硬い。聞いておれないくらいだった。


演出も間奏のあるところで、まったくくだらない振り付けのダンスが入る。目も当てられないほどだった。その時は何回も、手で目を覆った。


一幕の後、もう帰ろうかと思った。でも『イドメネオ』は、そう聞ける作品ではない。この機会を逃すと、いつまた聞けるかどうかわからない。そう思って、がまん、がまんといい聞かせた。残ることにした。


ところが二幕なると、ぼくの批判が伝わったのだろうか。ラトルが人が違ったようによくなった。歌手との息も合い出した。


三幕になると、オーケストラの音が一段と柔らかくなる。やっと、このオーケストラの良さを引き出せるようになった。音楽もモーツァルトらしくなった。これこそ、モーツァルトの音楽だ。


指揮者にも、その時その時の体調、調子がある。そういう時に、意識とからだのバランスが崩れても仕方がない。一幕のラトルはそれが、狂っていたのかもしれない。


ぼくは元々、ラトルをそれほど買っていない。でもこの日はひどい一幕があったが、全体としては期待していた以上だったと思う。


問題はむしろ、演出だ。マックヴィカーの演出は、作品の話の筋をたどるだけの演出。そこから、自分がどういう物語を描きたいかのコンセプトがまったくない。その場その場のシーンでは、きれいな舞台もある。しかしそれだけでは、このオペラはつまらない。


アリアは歌詞の繰り返しが多いので、その場面が長くなる。間奏も長い。そのため、はっきりとした物語性のコンセプトがないと、歌手の演技が中途半端なものになる。間奏も、物語から離れ、とってつけたような感じになる。


ヴィーンやニューヨークなど、観光客相手のオペラハウスならいいかもしれない。しかしこの演出では、演出に厳しいベルリンのオペラファンを満足させることはできない。


ぼくが特に納得できなかったのは、フィナーレだ。マックヴィカーは台本通り、王であるイドメネオを退位させ、息子のイダマンテが即位する。さらに加えて自分の解釈として、退位したイドメネオを海神の生け贄にしてしまうのだ。


ぼくだったらここは、そうしない。


イドメネオを王から天下りさせて、庶民として生かす。そのほうが、それが何を意味するのか、いろいろな解釈が可能となる。観衆にいろいろ考えるきっかけをもたらすと思う。


最後に、ベルリン国立オペラの音楽監督を退任したバレンボイムの後任問題について簡単に書いておきたい。


オーケストラの楽団員は概ね、下馬評の高いティーレマンに反対。しかし今、ベルリン市新政権樹立に向けて連立協議中だが、選挙で第一党になった保守政党中心の政権が誕生すると、右派的発言の目立つティーレマンが音楽監督として推されるのは間違いないと見られている。


楽団員が音楽監督を選ぶベルリンフィルと異なり、ベルリン国立オペラでは市政府が音楽監督を選出するからだ。


(2023年4月04日、まさお)
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関連サイト:
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