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ガスパーレ・スポンティー二といっても、知らない人が多いと思う。イタリア人作曲家・指揮者だが、19世紀初期に主にパリ・オペラ座で活躍した。その後、ベルリンの国立オペラの前身であるプロイセン王国王立オペラにおいて21年間初代音楽監督を務める。
そのゆかりのベルリン国立オペラにおいて、スポンティー二の代表的オペラ作品⟪ヴェスタの巫女⟫が上演された。
指揮はカルロ・リッツィ、演出はリディア・シュタイアー。
⟪ヴェスタの巫女⟫は1807年にパリ・オペラ座で初演され、1830年までに300回も上演されるなど、大成功を収めている。
スポンティー二の音楽とオペラの構成は、後のベルリー二、フランスのグランド・オペラ、特にその代表的な作曲家の一人マイアーベーア、さらにヴァグナーにまで影響を与えている。
今回、ヴァグナーの『指輪』のメインテーマの一つが⟪ヴェスタの巫女⟫の中にあるメロディをそのまま使っているのに気がついた。
そういう作曲家と作品がなぜ忘れられ、ほとんど上演されなくなったのか。
それは、主役の巫女ジュリア役を歌いこなせる名ソプラノ歌手がなかなかいないからだと思われる。20世紀に入ると、ローザ・ポンセルが主役ジュリアのアリアを録音しているが(1926年)、オペラとしては、1954年にミラノ・スカラ座でマリア・カラスがジュリア役を演じている。演出は、なんと映画監督の巨匠ルキノ・ヴィスコンティだった。
ポンセルとカラスなら、なるほどなと納得できる。それくらいたいへんな作品なのだ。
今回ベルリン公演では、ソンニャ・ヨンチェヴァがジュリア役を演じているが、各幕毎に十分な休憩を入れていた。それでも、カーテンコールに出てきたヨンチェヴァ(以下の写真前列右から二人目)はくたくたの顔をしていたのが印象的だ。
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ベルリン国立オペラでの⟪ヴェスタの巫女⟫公演後のカーテンコールから |
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話は、古代ローマ時代火の女神ウェスタに仕えた「ウェスタの処女」を題材にしている。「ウェスタの処女」とは、ウェスタ神殿において純潔を守りながら、聖なる火を絶やさないように守る巫女のこと。
リシ二ュスは、ローマの上流階級出身の娘ジュリアに恋をするが、身分が違うとしてジュリアの父から結婚を認められなかった。リシ二ュスはジュリアを娶るため軍に入隊し、ローアの将軍となって凱旋する。しかしジュリアは父の遺言にしたがい、ヴェスタ神殿の巫女となっていた。
これが、⟪ヴェスタの巫女⟫の物語の背景だ。
リシ二ュスはジュリアを連れ出して一緒に逃げるため、聖火を一人で見守ることになったジュリアに会うために神殿に忍び込む。ジュリアに一緒に逃げようという。ジュリアは一旦躊躇したが、逃げることを決心した。すると、聖火が消えてしまうのだった。
ジュリアはリシ二ュスを救うため、自分だけが罪を負って死ねばいいと決断。一緒に逃げようとせず、リシ二ュスだけが友人シンナに連れられて逃げていった。
ジュリアは司祭長の命令で、神の審判にかけられる。ジュリアのヴェールを聖火台に捧げて聖火が灯れば無罪だった。しかし、聖火は灯らなかった。
ジュリアが死ぬために墓穴に入ろうとした時、リシ二ュスが兵士と一緒に現れ、自分がジュイリアの愛人だと告白。兵士にジュリアを連れ出すよう命じる。
すると突然、天から火の玉が落ちてきてジュリアのヴェールを燃やして聖火が再び灯ったのだ。司祭長はジュリアの罪は許されたとして、ジュリアとリシ二ュスが一緒になるというハッピーエンドに終わる物語だ。
スポンティー二の音楽は当時としてはかなりダイナミックで、斬新だったろうなあと感じるところが多々あるが、全体としては調和のとれた穏やかな感じがする。特に第2幕において、ジュリアとリシ二ュスが愛に苦しみながら歌うアリアのやりとりは傑作だといっていい。この作品の最高の見せ場だ。
一番最後がバレー音楽になっているのにはグランド・オペラへの流れを感じるが、そのバレー音楽が甘い感じになっているのは、物語がハッピーエンドで終わるからだ。
ところがシュタイアーの演出は司祭長以下司祭たちに軍服を着用させ、神殿の掟が軍事化されている設定となっている。最後も、リシ二ュスの友人シンナが新しい将軍として権力を握り、司祭長と巫女長を殺害し、さらに銃声を聞かせてジュリアとリシ二ュスまで処刑したことを暗示させる。最後は、処刑された巫女長とジュリア、リシ二ュスの遺体が吊るされた壁が舞台に現れて幕となる。
シュタイアーは、古代ローマの物語を現代に結びつけるため、現在のイラン戦争における宗教と暴力の問題を暗に想定したかったのだという。ただこの解釈では、スポンティー二の音楽と舞台設定がまったくマッチしない。
音楽的にはすばらしい公演で、スポンティー二の音楽を再発見できたとたいへん満足している。しかし音楽と演出の間がぎくしゃくしていたところは、最後の最後まで「何で」と後味の悪さが残る。
その点が残念でならない。
(2026年10月11日、まさお) |