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ぼくはジャック・オッフェンバックのオペラ⟪ホフマン物語⟫を、10公演以上観ていると思う。
そのうちのほとんどは、1990年代前半にベルリン・コーミッシェ・オーパーで上演されたハリー・クプファーの演出だった。
クプファーの演出では、一つ一つの動きにそれぞれ意味があり、細かく演出されている。何といっても、コーラスなどたくさんの人を舞台上で動かすのが天才的にうまかった。たえばプッチーニのオペラ⟪ラ・ボエーム⟫第二幕カルティエ・ラタンのカフェ・モミュスの前のシーンは、今も伝説的に語り継がれている。
ぼくはオペラの見方、解釈を、クプファーの⟪ホフマン物語⟫とともに培ってきたといってもいい。
そういうこともあって、⟪ホフマン物語⟫を観るのはいつも慎重になる。今新しい演出を観ても、作品の解釈と作り方に物足りなさを感じてしまうだろうなと思ってしまうからだ。
ベルリン国立オペラでは、昨年2025年11月に⟪ホフマン物語⟫の新演出が上演されていたが、行く気がしなかった。
しかし今年3月の公演では、バンジャマン・ベルナイムがホフマンを歌うというので、これはいくしかないと思った(「ジルベスターコンサートとニューイヤーコンサートあれこれ」)。
詩人ホフマンが酒場で学生たちにオリンピア(人形)とアントニア(余命幾許もない歌姫)、ジュリエッタ(娼婦)に恋に落ちるが、恋に破れてしまう話を語り、今恋するステラにも失恋してしまって死んでしまいたいと思う物語だ。
物語は、ドイツ・ロマン派の作家E.T.A.ホフマンの小説から3つの物語を組み合わせて脚色された。物語に登場するホフマンが恋した4人の女性はすべてステラのことであり、ホフマンの失恋物語から芸術家の創作する苦悩と幻想が語られているともいえる。
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ベルリン国立オペラでの⟪ホフマン物語⟫公演後のカーテンコールから |
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オペラの物語は内容が単純であり、その分いかようにも解釈できる可能性が含まれている。演出家はその物語から、自分独自のストーリーを見つけて演出すべきだと、ぼくはいつも思っている。
今回演出したアメリカ人の女性演出家リディア・シュタイアーはホフマンを最初の酒場のシーンで死亡させてしまい、その直後に詩の女神ミューズが天使ととともにホフマンのところに降りてくる。ホフマンが失恋する4人の女性の物語では、地獄からきた悪魔がホフマンを地獄に引きずり込もうとするが、最後に老婆がホフマンを助け、ホフマンが天国に昇天していくところで幕となる。
演出のコンセプトとしてはそうすることで、女性との失恋物語を一つに繋げてホフマンが死亡して天国にいくまでを一つの物語にまとめたかったようなのだ。しかしそれによって、ホフマンが死から天国にいくまでただ彷徨う詩人のようになり、芸術の創作に苦しむ芸術家としての姿が中途半端になっている。
通常は、ミューズとホフマンの友人ニクラウスは同じ歌手(メゾソプラノ)が歌い、4人の女性のところに出てくるリンドルフ、コッペリウス、ミラクル博士、ダペルトゥット船長も同じ歌手(バリトン)が歌うことになっている。しかしシュタイアーの演出では天国からの使いと地獄の悪魔というだけのキャラクターになってしまっていて、それぞれ失恋する女性ごとに登場する(悪魔の)キャラクターに違いがなく、登場人物ごとのキャラクター造りができていなかった。
もう一つ気になったのは、クプファーと違い、酒場にいる学生などの役をするコーラスを動かして演出することができず、単に立っているか、座って歌っているだけだったことだ。その代わりにダンサーなどがあちこちに出てきて、とってつけたように踊るだけの演出しかされていない。それでは何の効果もまく、観客が退屈しないように舞台上に動くものをつくっているにすぎない。
舞台には、たいへん豪華にできた舞台装置がたくさん並び、最新の舞台機構の装備された舞台を最大限に使って演出効果を盛り上げていた。そのためにたくさんのお金がかかっていると思うが、どれも空回りしている感じがしてしようがなかった。
その前に観たショスタコーヴィチのオペラ⟪ムツェンスク郡のマクベス夫人⟫(コーミッシェ・オーパー)とヤナーチェクのオペラ⟪利口な女狐の物語⟫(ベルリン国立オペラ)が、とても質素で簡単な舞台装置だけでとても見事な、深い公演になっていたのに比べると、たくさんの税金を無駄に使っているように思えてならない。
しかし音楽的には、まだ30代と若いピエール・デュムソーの指揮によって引き出されたオーケストラの音色は相変わらず、これぞオペラのオーケストラだと感じされてくれた。ホフマン役のバンジャマン・ベルナイムも思っていたようにハマり役で、とてもセクシーだ。おばさんだけでなく、男泣かせだ。重い腰を上げてきたかいがあったと思う。
ぼくはますますバンジャマン・ベルナイムのファンになった。
今回使われた版は2006年に出た最新のケイとケック版ではないかと思われ、ぼくが以前聴いた版とはかなり違っていた。その上、ほとんどカットされてなかったと思われる。⟪ホフマン物語⟫はいろいろカットされて公演されることが多いだけに、カットされていない長い版で聴けるのはとても貴重な機会だった。
得したなあと思っている。
(2026年3月16日、まさお) |