2021年10月04日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オーケストラコンサート
ブロムシュテットがブルックナー第5番

久しぶりにオーケストラコンサートを生で聴くことができた。この間、室内楽曲のコンサートを教会などで聴いていた。コンサートホールで聴くのは、コロナ禍の影響もあり、ほぼ2年ぶりではないかと思う。


ブルックナー

聴いたのは、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮|ベルリンフィル演奏によるブルックナー第5番。


ブロムシュテットは今、94歳。これほど高齢でも、指揮台に椅子はない。1時間20分ほどの演奏中、立ったままだった。歩くのはもちろん、指揮台に上がったり、降りたりする時も介添えはいらない。それもブルックナーという肉体的にもハードな作品を3晩続けて指揮するのだから、怪物としかいえない。


ぼくが聞いたのは、その初日だった。第1楽章は、ブロムシュテットもベルリンフィルもまだお互いに温まっていなかった。少し硬く、お互いに手探りしている感じだった。


ギュンター・ヴァントだったら、第1楽章の後に楽屋に引っ込んで雰囲気を変えたかもしれない。あの時は、コンサートマスターが慌ててヴァントを追って、引っ込んでいったのを覚えている。


でもブロムシュテットは、そんなことはしない。第2楽章に入る前、少し間合いを長くとったように思う。さすがだ。すぐにブロムシュテットもベルリンフィルも一体になる。第1楽章と同じように、ピッチカートではじまる。オーボエが主題を担当する。その後に続く副主題は、コラール風の弦の合奏。弦の低い響きに何ともいえない深さがある。見事だ。背筋にグーンとくる。


ブロムシュテットは、主題、副主題が展開して再現されても、決して同じようには演奏させない。展開の違いをはっきりと聴かせてくれる。音楽が鮮明だ。演奏が決して、ヴァグナー風にならないのもすばらしい。ブルックナーがヴァグナーの影響を受けていたのは明らか。かといって,ブルックナーをヴァグナー風に演奏していいというわけではない。ブルックナーはブルックナーなのだ。


それは、ブルックナーの巨匠といわれたチェリビダッケやヴァントもそうだった。決してヴァグナー風にはならなかった。


ブロムシュテットの指揮では、肘と肩の動きがすでに硬くなっている。背中も腰も曲がり、どうしてもうつむき加減になる。これは、高齢だから仕方がない。でも手首の動きが、とても柔らかい。手首が柔らかく円を描く。それが、オーケストラの響きが決して硬くならない要因になっていると思う。


第4楽章のフィナーレがまた圧巻。背中も腰も曲がったブロムシュテットの背中と腰が真っ直ぐに伸びる。うつむき加減の胸が大きくひらくのだ。だから、フィナーレのトゥッティがダイナミックになる。高齢という肉体的なハンディキャップは感じられない。


会場はスタンディングオベーション。とても満足のできる、すばらしいコンサートだった。


指揮者というのは、歳とともに熟していき、それが音楽に現れるもの。歳とともに、オーケストラからの引き出しも多くなる。もちろん、そうならないで終わる指揮者もいるのだが、ブロムシュテットは歳とともに、本当に円熟した指揮者だ。


指揮者には、楽譜を読む毎に新しい発見がなくてはならない。指揮者の音楽は歳とともに、変わっていく。いや、変わらなければならない。それが、ある指揮者を長く聴き続ける楽しみでもある。


特に高齢になってからの指揮者の音楽には、格別の味わいと深さがある。新鮮さもある。ブロムシュテットにはもっともっと長く指揮を続けてほしい。


(2021年10月04日、まさお)
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