なぜ今再生可能エネルギーに投資するのか、もう一つ重要な理由があります。
それは、エネルギーを使うことに関して、これまで火力発電と原子力発電に依存してきた世代と、それに依存しない次の世代の間で、どう公平性を保つかという問題があるからです。
これまで、火力発電によって環境を汚染してきたツケは、そのまま次の世代に押し付けられます。環境汚染に対し、火力発電に依存してきた世代はこれまで、それに責任を負ってきませんでした。
これから脱化石燃料を実現するまで、温室効果ガスの排出を削減する負担が発生します。その負担は、まだ今の世代が負うことができます。でも、その一部を負担するにすぎません。
原子力発電においては、廃炉や最終処分の負担はそのための資金を積み立てています。でも、それで十分だとは到底思えません。その負担は、原子力に依存した世代が一部負うにすぎません。最終処分にとても長い年月がかかることから、その負担の多くは次の世代に押し付けられます。
ここで、疑問が生まれます。これまで火力発電や原子力発電を使ってきた負の遺産を、次の世代に押し付けていっていいのだろうかということです。これまで火力発電と原子力発電に依存してきた世代は、次の世代に残していく負担に責任はないのでしょうか。
もちろん、責任があります。責任があるなら、どうすればその責任を果たすことができるのでしょうか。
次の世代に残していく負担のために、今の世代がこれからお金を積み立てて残していくことはもう不可能だと思います。また、今の段階で具体的にその負担を算出しても、それで将来足りるかどうかの保証はありません。
ぼくはそれなら、今の世代、特に火力発電と原子力発電に依存してきた世代が、今再エネに投資してエネルギー供給がすべて再エネ化される筋道をつくっていくべきだと思います。
再エネ化に早くから取り組めば取り組むほど、全体として将来、安いものに上がります。その負担も次の世代に残していかないようにするためには、できるだけ早く再エネ化に取り組むしかありません。
再エネでは燃料費などが必要ないので、エネルギー供給が100%再エネで実現されれば、エネルギーへの負担が格段に軽減されます。
それによって、これまでの世代が残していく負担が、すべてとは思いませんが、ある程度相殺されるのではないかと思います。こうすることでしか、世代間の公平性は成り立たないと思います。今のぼくには、それ以外の方法が思い浮かびません。
そのためにも、今の世代が責任を持って再エネに投資するのです。
(2019年10月02日)
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