日本では、太陽光や風力などの再生可能なエネルギーに切り替えることを「エネルギー転換」とか、「エネルギーシフト」とかいっています。
エネルギー選択宣言ブログの記事「「再生可能」というのは適切なのかどうか?」では、「再生可能」ということに疑問があるとしました。それは、エネルギーを「再生」しているわけではないからです。
太陽光や風力などは自然界にあるわけで、再生可能エネルギーではそのエネルギーを電気エネルギーに変換するにすぎません。
「エネルギー転換」ということばについても、ちょっとどうかと感じています。
火力発電や原子力発電においても、地下に埋蔵されていたウランと石炭や石油などのエネルギー源を採掘して、その中にある核エネルギーと化学エネルギーを最終的に電気エネルギーに換えているにすぎません。
要は、従来の発電方法においても、中学の理科で習ったエネルギー変換が行われているにすぎません。だから発電というのは、いかなる方法であろうが、ある種のエネルギーを電気エネルギーに変換することになります。
それにも関わらず、再生可能エネルギーに切り替えることを「エネルギー転換」とか、「エネルギーシフト」というと、どうも何か混乱しそうな感じがします。
でもそれは、ぼくだけの偏見でしょうか。
発電とはエネルギーを変換しているだけと考えると、ウランや化石燃料を再生可能エネルギーに切り替えるのは、そう難しい問題ではないように思えます。
でも、それが進まないのはなぜでしょうか。
ぼくはこれまで、再生可能エネルギーによる発電では、発電量に大きな変動があることなど、問題があることについて述べてきました。でも、それは技術的に解決できます。
エネルギー転換が難しいのは、本質的には技術的なことではありません。
エネルギー転換では、原子力発電と火力発電によって利益を得る確固とした構造が社会にできてしまっていることが問題なのです。一旦得た既得権益は、誰も手離したくありません。だから、エネルギー転換を妨害します。
こうして見ると、エネルギー転換は、構造改革の問題であり、利害関係の問題だということになります。
エネルギー選択宣言ブログの記事「脱蒸気機関、脱内燃機関、脱産業革命」において、今問われているのは、産業革命によって発見された蒸気機関と内燃機関を止めることだと書きました。それが、今問われていることの本質です。
実は、これも技術的な問題ではなく、構造改革の問題です。それが実現されると、これまで構築された既得権益構造が崩壊してしまいます。
(2019年10月09日)
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