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反原発運動ルネッサンス?  2/3
(2008年11月18日)

ただ、この反対デモは本来、緑の党にとっては、社民党(SPD)と連立して政権についていた時代には、行ってはならない反対運動だった。


当時、社民党と緑の党の連立政権は2000年、電力業界との間で原子炉を段階的に廃炉とすることで合意。2020年頃までに、すべての原子炉を最終的に停止させることになった。


この脱原発合意においては、さらに、
1)政府側がスムーズな商業発電を保証する
2)使用済み燃料を原発サイト内に中間貯蔵する
3)再処理を2005年7月から禁止する
ことも合意された。


1)は主に、政府側が法を楯に強引に原子炉を停止させないこと、原子炉の運転が反対運動によって邪魔されないようにすることを意味する。


直接関係がないようにも思われるが、実は、1)を実現するポイントが2)と3)だった。


2)は、最終処分するまで、使用済み燃料をキャスクに入れて原発サイト内に中間貯蔵するということ。


脱原発合意成立まで、使用済み燃料はまず、燃料交換後原子炉内の貯蔵プールで保管され、貯蔵プールが満杯になると、仏ラアーグないし英セラフィールドに輸送されるか(再処理)、独アーハウスないしゴアレーベンにある中間貯蔵施設に輸送されていた(直接処分)。


だが、そのキャスク輸送が妨害されて実施できないとなると、貯蔵プールに使用済み燃料を保管するスペースがないので、 燃料を交換することができない。そうなると、原子炉は停止せざるを得なくなる。


そのため、キャスク輸送阻止が、原子炉を止める有効な手段だった。だから、使用済み燃料の入ったキャスク輸送は、原発反対派の絶好のターゲットだった。


しかし脱原発合意によって、再処理が禁止され、使用済み燃料が原発サイト内に、中間貯蔵されることになる。


それに伴い、キャスクは反対派の手の届かない存在となる。使用済み燃料が原発サイト内に、数十年もの間、保管されるからだ。


だから、反対派と警官隊が衝突するシーンは、ほとんど見られなくなった。


(2008年11月18日)
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