2022年6月30日掲載 − HOME − 脱原発一覧 − 記事
どうして? 日本の脱原発運動

日本の脱原発運動の中に、地球は温暖化していないと温暖化懐疑論があることを書いたことがある(「日本の温暖化懐疑論への疑問」)。


温暖化懐疑論を主張するのは、長年に渡って反原発、脱原発で活動してきた重鎮。日本の運動は、よく縦構造になっている。重鎮のシンパが重鎮の番頭さんのように、温暖化懐疑論を脱原発運動の中に広める役割を担っている。


活動していると、「xxxx先生の(温暖化否定の)論考を読むように」といわれることがよくあるらしい。


温暖化懐疑論で使われるグラフは、だいたい同じだ。ぼくが問題だと思うのは、グラフの目盛一つが0.5度幅になっていること。


今、産業革命から温度が2度上がらなようにと議論している。それなのに一目盛が0.5度だと、温度の変化は、グラフの目盛り4つの間で動くだけだ。


それで、温度の変化をはっきりと読みとれるのだろうか。温度の小さな変化は、グラフの目盛の中に埋もれてしまうはずだ。それで温暖化はないと主張したら、情報操作にならないだろうか。


ぼくが小生が小学校や中学校で習った算数、数学では、そうとしか思えない。


反原発デモ
福島原発事故後の2011年3月26日、ドイツのベルリンではそれまでで最大の反原発デモがあった

もっと問題なのは、温暖化懐疑論を盾に、再エネを進めている方たちを非難、中傷していることだ。再エネを進める人たちを原発推進の手先とさえ、思っている人たちがいる。


もちろん、言論の自由がある。ぼくは、それを否定しない。むしろ温暖化懐疑論を主張するなら、しっかりと議論したい。


ただ日本では、議論する文化があまりない。でも何もいわなかったら、黙認するのと同じだ。


温暖化を否定し、再エネも拒否して、もし将来、温暖化懐疑論が間違いだったとかわったら、どうするのだろうか。もう手遅れで、取り返しようがない。


それでいいのか。


温暖化懐疑論を主張するなら、万一間違っていた時に備え、最低限再エネは進めるべきだというのがリスク管理のあり方ではないだろうか。


なぜ、ここで「リスク管理」を持ち出すのか。


脱原発運動では、原発のセキュリティ問題で政府のリスク管理について批判しているからだ。そうしておきながら、温暖化の問題において自分でリスク管理ができなければ、政府のリスク管理を批判して、説得力があるだろうか。


ないと思う。


さらにやっかいなのは、日本の脱原発運動の一部に、コロナ陰謀説やホロコースト陰謀説も蔓延していることだ。


もちろん、ここにも言論の自由がある。でも、考えてもらいたい。


コロナ陰謀説やホロコースト陰謀説に加えて、温暖化懐疑論も主張したら、脱原発運動はQアノンやトランプ支持者の運動と変わらなくなってしまわないだろうか。


さらにコロナ陰謀説やホロコースト陰謀説によって、脱原発運動内部で分裂してしまうのも怖い。そんなことで、脱原発運動がつぶれてほしくない。


コロナ陰謀説やホロコースト陰謀説を主張するなら、脱原発運動に持ち込んでもらいたくない。脱原発運動とは関係ないところで、別個に主張してもらいたい。


温暖化懐疑論、コロナ陰謀説やホロコースト陰謀説を脱原発運動に持ち込んで、一体誰が脱原発論を信用するだろうか。


その辺も、十分に考えてもらいたい。


ぼくはドイツという遠方から日本の脱原発運動を見ていて、とても心配になる。理解に苦しむ。


(2022年6月30日)
記事一覧へ
関連記事:
地球温暖化とその危機管理
日本の温暖化懐疑論への疑問
過渡期のドイツ反原発運動
ドイツ反原発運動への疑問
ドイツ反原発運動の源泉
関連サイト:
脱原発団体の一覧(wikipedia)
この記事をシェア、ブックマークする
このページのトップへ