ドイツでは2023年4月15日、まだ稼働していた残りの原子炉3基が最終的に停止された。それをもって、ドイツではすべての商用炉が停止した。
廃炉と最終処分の問題が残るとはいえ、脱原発が現実のものとなったといえる。
これまでよく、ドイツは2011年3月にフクシマ原発事故があったから、脱原発を決めたのだといわれる。そう報道されることも多い。一般的には、そう思われていると思う。
しかし実際には、そうではない。
ドイツ政府は2000年に、ドイツ電力業界と脱原発することで合意した。その後2002年に原子力法が改正され、脱原発の筋道が法的に規定された。それによると、だいたい2022年にはすべての商用炉が最終的に停止する予定だった。
ここで脱原発の時期を「だいたい2022年」としたのは、法的に原子炉の最終停止時期が規定されたわけではないからだ。原子炉毎に後どれだけ発電していいのか、その残発電電力量が原子力法で規定されたにすぎない。最終停止時期は、原発を運転する電力会社の判断に委ねられた。
それでも原子炉が最終的に停止される時期が「だいたい2022年」といえるのは、残発電電力量が原発の運転期間を32.5年として換算されたからだ。
ドイツで商用炉が一番最後に商業運転をはじめたのは、1989年4月だった。それに32.5年を足すと、2022年末になる。
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ドイツでは福島第一原発で事故があった後の2011年3月26日、各地で大きな反原発デモがあった。その時の反原発デモは、それまでで最大だったといわれる。写真は、ベルリンでのデモから。 |
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メルケル首相は2010年、2002年の原子力法改正によって規定された脱原発時期を原子炉毎に8年から14年延期した。メルケル首相がフクシマ原発事故後に決めたといわれる2011年の脱原発は、メルケル首相の下で延期された脱原発時期を2022年に戻したにすぎない。
その事実は、報道機関も知っている。それにも関わらず、フクシマ原発事故とドイツの脱原発が結びつけられるのは、そのほうが簡単に説明でき、一般的に理解してもらいやすいからではないかと思う。
ドイツ政府ないし原発立地州はその結果、原発を有する電力会社に損害賠償しなければならなくなった。しかしその事実も、あまり知られていないと思う。その損害賠償請求権は、ドイツ憲法裁判所によっても認められている。
そうなると、一つの疑問が出てくる。「ドイツでは、どうして脱原発が可能だったのか」が、はっきりしなくなる。
それは、原発事故という一つの大きなインパクトだけによるわけではない。ドイツの脱原発は、いくつもの要因が重なって実現できたと思う。
そこでこれから数回にわたって、ドイツで脱原発が可能となった要因を挙げてみたいと思う。日本で脱原発を可能とする参考になればと思う。
(2023年5月23日) |