語られないメルケル首相の失政

 ドイツでは、社民党と緑の党、自民党の3党が連立協定で合意したばかりです。遅くとも来月2021年12月前半までには、中道左派政権が誕生します。メルケル首相はすでに、公式には退任しています。しかし社民党のショルツ新首相が連邦議会で選出されるまで、過渡的に首相を務めているにすぎません。

 メルケル首相は、今年12月17日以降も首相であれば、これまで首相在任期間が最長のコール元首相を抜いて、歴代最長になるところでした。しかしその前に新政権が誕生するので、在任期間が最長になることなく、首相として最終的に退任する見込みです。

 それとともに、16年続いたメルケル政権に終止符が打たれます。

記者会見中のドイツのメルケル首相(2018年夏)

 メルケル首相といえば、日本ではドイツの脱原発を決めた決断力のある女性宰相とのイメージを持っている人も多いと思います。国際的にもメルケル首相は、見識の高い、偉大な政治家として認められています。

 しかしメルケル首相の伝記を出版したラルフ・ボルマンさんは、メルケル首相は「ビジョンのない政治家」だったと評しています。ボルマンさんは、全国紙フランクフルター・アルゲマイネ紙日曜版の経済記者。長期に渡ってメルケル首相に密着して、500ページ以上に及ぶ長文の伝記を書き上げました。

 アンゲラ・メルケルさんが首相に就任した時からこれまで、ぼくもずーと、ボルマンさんと同じように思っていました。メルケル首相は意思決定において、周辺に議論させるだけ議論させ、最後の最後に自分で決断するタイプの政治家でした。自分が政治家としてしっかりした考えを持っていたというよりは、その場その場の状況に応じて、現実的な判断をしたというのが、メルケル首相の政治スタイルでした。

 それが往々にして、12年間連立していた社民党や、環境政党緑の党の政策になったりしていました。他政党の政策を盗んで自分のものとし、本家の社民党と緑の党を弱体化させていると、よくいわれました。メルケル首相の政治はその結果、保守的ではなく、社会民主的ともいわれました。

 ただ16年間、予期しない危機が次から次に襲ってきたのも事実です。政治が現実的にならざるを得なかったのは、仕方がなかったのかもしれません。その現実的な判断によって、メルケル首相の危機管理がうまく機能したともいえると思います。

 それとともにメルケル首相の政治は保守色を失いますが、社会において中道層をひきつけ、より広い層に支持されてきたのも事実です。

 16年もの長い間首相を務めながらも、高い支持を得て、惜しまれながら退任する首相は、とても稀な存在です。その点では、メルケル首相が高い評価を得るのは当然だと思います。

 しかしメルケル首相の高い評価の影に隠れ、ほとんど語られないメルケル首相の失政があるのも事実です。その失政のいくつかは、次の新政権に「重い遺産」として引き渡されます。

 難民問題が現実に何も解決されていないのは、前回書いた通りです。今回はそれ以外のテーマについて、メルケル首相の失政を取り上げます。

原子力政策:
 メルケル首相は1994年から4年間、環境大臣でした。原子力の安全問題を担当していましたが、この時、原子力の安全について許されてはならない規制の改正を行なっています。

 原発など原子力施設は、改造や修理する時、その時点での最も最新の技術と技術的な知見に基づいて行うのが国際標準です。でもメルケル環境相は、古い施設については建設当時の技術標準に基づいて改造、修理してもいいと、原子力法を改正して原子力の安全規制基準を引き下げました。これは、国際標準に反するものでした。

 原発は通常、その立地場所毎に建設許認可の申請を出し、審査後に建設許可が下ります。しかしメルケル環境相は、独仏で新しく開発された欧州型新型加圧水型炉(EPR)に対して、自動車と同じように型式承認制度を導入して、立地場所毎に建設許認可の手続きを経ずに、型式承認を下に簡単に建設できる道をひらきました。

 これは世界的にも、稀にみる規制緩和でした。幸い、1998年秋の選挙で社民党と緑の党の中道左派政権に政権交代したことから、この2つの規制改正は次の政権によって撤回されました。

脱原発政策:
 メルケル首相は先に書いたように、2011年3月の福島第一原発事故後に脱原発を決断した首相だとして知られています。ドイツでは、シュレーダー政権が1998年秋に発足すると、電力業界と脱原発について交渉を続け、2000年6月に電力業界と脱原発で合意していました。それが、法的に規定されたのが2002年の原子力法改正です。それとともに、原子力法が内容的に脱原発法に変わったのでした。

 そこでは、原子炉毎に後どれだけ発電できるか、発電電力量が規定され、電力会社が自主的に2020年から2022年頃を目処に脱原発する計画でした。

 その後メルケル首相は、自民党との中道右派政権時の2010年秋に脱原発を規定する原子力法を改正し、脱原発する最終時期を2036年までに延期したのでした。

 メルケル首相は福一事故後、その脱原発の見直しを元に戻し、2022年までにすべての原子炉を最終的に停止することにします。前年に脱原発を見直した自分の過ちを認め、脱原発を時期をほぼ元に戻したのでした。

 しかし、この代償は大きかったといわなければなりません。メルケル首相の二転三転した政策転換によって、シュレーダー首相が脱原発によって政府が電力会社に損害賠償しないで済むように配慮した政策が台無しになってしまったからです。ドイツ政府はその結果、原発を所有する電力会社に対して数十億ユーロ(数千億円超)の損害賠償をしなければならなくなりました。

ギリシャ金融危機:
 米国のリーマンショックに伴うギリシャ金融危機においては、厳しい財政規律を主張するドイツの主張が通った形で解決されたように思われています。

 まず支払い不能状態となったギリシャのため、民間機関に対する借金の返済は一部免除しました。しかしEU加盟国各国に対する借金の返済義務は、一文たりとも免除していません。特にEU債を加盟国で共同で発行して、ギリシャを財政支援することは、ドイツを中心に頑なに拒否されました。

 メルケル首相と当時のショイブレ財務相は、ドイツの税収を使ってギリシャを援助することに対しては全額返済してもらうし、ドイツも含め共同でEU債を発行して、借金を一部肩代わりすることも一切拒否したのでした。

 これは、ドイツのお金は使わせないという「ジャーマニー・ファースト」政治以外の何物でもありません。米国トランプ前大統領の「アメリカ・ファースト」政治を思い出させます。

 もしあの時メルケル首相が、コロナ禍におけるEU域内での財政支援策のように、EU加盟国が共同で借金し、財政難に苦しむ加盟国を財政支援しておれば、現在インフレ圧がかなり強い状態にありながらも、欧州中央銀行が今も頑なに量的緩和政策を続ける必要はないと思います。中央銀行が、量的緩和によって特定の国を財政支援するのは、独立性、中立性が求められる中央銀行にとり、異常な事態です。

 EUという大きな経済圏において、ドイツが輸出国として一番利益を得ているにもかかわらず、メルケル首相の頑なドイツのお金は一切他国には使わせないという政治は、ギリシャなど南欧諸国が経済的に立ち直るのを遅らせたばかりでなく、ギリシャなど国内で大きな社会問題を引き起こしたといわなければなりません。

 気候保護政策とコロナ対策の問題についても述べたいのですが、もう結構長くなったので、それは次回に回します(続く)。

(2021年11月26日、まさお)

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関連サイト:
ドイツ政府の公式サイト(ドイツ語)

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