今年2024年9月にドイツ東部3州(ザクセン州、チューリンゲン州、ブランデンブルク州)で行われた州議会選挙において、極右政党が台頭した背景を探っている。
前回はドイツ東部の特殊性として、有権者に政党へのつながりが欠けていることについて書いた。もう一つドイツ東部の特殊な傾向として、地方にいけばいくほど社会において、男性に比べ女性の割合が少ないことも挙げておきたい。特に今回州議会選挙のあったザクセン州とチューリンゲン州、ブランデンブルク州の南部において、この傾向が顕著になっている。
そして女性の割合が少ない地区において、極右政党の得票率がより高くなっているのだ。
ドイツ東部では統一後、若い女性が仕事を求めてドイツ西部に移住する傾向が続いた。2010年代半ばになってようやく、その傾向が逆転。女性がドイツ東部に残り、ドイツ西部に移住する男性のほうが多くなっている。
しかし2010年代半ばまでの女性の移住者の数が多く、ドイツ東部は依然として女性の少ない社会となっている。地域によっては、男性の割合が55%にもなる。
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環境保護デモ集会でカードをして楽しむ若者たち |
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統一後に、若い女性がドイツ東部から西部に移住した背景には、東ドイツ特有の事情があった。
東ドイツでは女性が貴重な労働力で、女性の就業率が高かった。結婚すれば住宅がもらえるチャンスが高まるので、住宅難から逃れるために若くして結婚するカップルも多かった。しかし若くして結婚して共働きする家庭では、男性に依存せず、独立して生きていける女性も多かった。その結果東ドイツでは、離婚率も非常に高かった。
統一後、東ドイツ企業を整理する過程で最初に解雇されたのは女性だった。その結果、ドイツ東部で女性の失業率が急速に高まる。
ドイツ東部の若い女性には仕事を求めて、ドイツ西部に移住した女性が増える。それ結果が今も、ドイツ東部社会において重くのしかかっている。
ドイツ東部では、男性が失業という問題ばかりでなく、結婚するパートナーを見つけられないという運命に直面した。
女性が少ないとは、社会にとってどういう結末をもたらすのか。
ぼくはドイツの学生運動50年に際して、「家庭から変える」という記事を書いた。
そこで注目したのは、ロンドン大学クイーン・メアリーのドイツ人女性歴史学教授クリスティーナ・フォン・ホーデンベルクさんの著書『もう一つの68年』(2018年)という本だった。
1968年の学生運動とともに西ドイツは、男性中心の権威主義的な社会から解放され、自由な社会に脱皮した。クリスティーナさんは、それが可能となったのは女性の自由なものの考え方があったからだったと分析する。ドイツでは学生運動とともに、男女平等を求めて女性運動も起こっている。
前回引用したベルリン・フンボルト大学の社会学教授で、東ドイツ出身のシュテッフェン・マウさんも、女性がいなくては社会に自由な文化が育たないと指摘する。それが、現在のドイツ東部が抱える問題でもあるという。
ドイツ東部において地方にいけばいくほど、社会が男性中心の保守的、権威主義的になっている。それは、社会に女性が少ないこと無関係ではないということだ。
その結果ドイツ東部において、社会が男性社会となり、市民が時代を逆に戻そうとする極右ポピュリズムや極左ポピュリズムに傾倒しやすくなっている。
(2024年10月03日) |