ぼくは旧西ドイツの友人、知人と話しいると、苛立つことがよくある。
それは、旧西ドイツの市民が旧東ドイツ像を表面的に独裁政治社会というレッテルでしか見ていないからだ。旧西ドイツのメディアで報道されてきた(統一後もだが)のを自分で判断することなく、1対1でそのまま押し売りする。
それは統一後35年経った今も、変わらない。
数年前に友人の誕生日に招待されたが、その時に会ったのは旧西ベルリンの人たちばかりだった。統一後30年以上経っても旧東ベルリンにいったことがないという。
それでいて知ったかぶりをして、東ドイツ、東ベルリンのことをあれこれ揶揄する。
ぼくはこういうことには慣れてきたので、内心は「この野郎、何をいってやがる」と思いながらも黙って聞いていた。
旧西ドイツ、旧西ベルリンの人でも、東側に暮らしていたり、当時の事情をよく知っている人でないと、話はうまく噛み合わない。
それに対して、旧東ドイツや旧東ベルリンの友人、知人と話す時、ぼくは何も気配りする必要もなく、ざっくばらんに話すことができる。それは、互いに統一前の社会を知っているから、それについてあれこれ議論する必要がないからだ。
これは、統一後35年経った今も変わらない。
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旧東ドイツのスーパーマーケットで使われていたショッピングカート |
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しかし今、旧東ドイツや旧東ベルリン出身の人たちと話す時、自分が慎重になっているのがわかる。それは、久しぶりに会う旧東ドイツや旧東ベルリン出身の友人、知人と話す時でもそうなのだ。
それはなぜか。
それは、彼らが今、政治的にどういう位置にいるのかまず探りを入れながら話さなければならないからだ。さらに、反米政治の元で育った彼らが、ウクライナ侵略戦争に関して盲滅法にロシアとプーチン大統領を擁護するのではないかと慎重に対応しなければならない。
友人たちには今、反ロシアでウクライナを支援していることも含め、政治にとても批判的になっている者が多い。攻撃的にさえなっている。
そういう時、ひょっとしたら極右政党AfD(ドイツのための選択肢)を支持しているのだろうかと疑いたくなる。そのため、まず探りを入れて確かめながらから話していく。
先日、外国人記者会会員で旧東ドイツ出身のコルネリアと話す機会があった。ぼくが自分のこういう日常の体験について話すと、コルネリアもそうだという。生まれ育った地元に帰って旧知の友人、同窓生と話すには勇気がいるとさえいった。
コルネリアと会った時、外国人記者会主催で旧東ドイツ出身の社会学者と統一後ドイツ北東部で生まれ、今保守系国会議員の政策秘書をしている若い女性との懇談会があった。その時2人にも日常の対話の問題について質問すると、ぼくと同じようにドイツ東部では話をするのが難しくなり、慎重になっているといった。
しかし、ドイツ東部で生活する市民が極右的なイデオロギーを持っているというわけでもない。統一後、資本主義経済と新自由主義経済の荒波に放り投げられ、政治と旧西ドイツ市民に見捨てられたと感じている。それに強く反発している。
同時に、自分たちの生活が今、統一前に比べて格段に豊かになったのも自覚している。それでも、地方に行けば地方に行くほど、過疎化が進んでいる。過疎化の問題では、東西ドイツに大きな差はない。しかしその不満をぶちまけるため、既成政党とは違う極右政党に投票してしまっているといってもいい。
しかしそこでは、極右政党が権力を拡大するとどうなるかまでの危険性は認識されていない。極右政党が拡大するこの傾向は、ドイツ西部にも拡大しようとしている。
この状態は危ない。しかし、それに対する適切な処方箋はまだない。
(2025年10月14日) |