|
2026年9月06日に行われたドイツ東部ザクセン・アンハルト州の州議会選挙において極右政党とされる「ドイツの選択肢(AfD)」が圧勝したが、それから1カ月の10月6日、選挙後はじめて州議会が開催され、新しい州議会議長が選出された。
議長に選出されたのは、極右政党AfDの州幹事長のトビアス・ラウシュ議員。35歳で、12月に州首相に選出される可能性の高いAfDのウルリヒ・ジークムント州首相候補の腹心とされる。
通常、議会議長を出した党からは副議長を出さないことになっているが、AfDはそのルールも変更して、副議長一人も当選させ、ザクセン・アンハルト州での実権を独占しようと目論んでいる。
議長と副議長の選挙では、AfDとAfDを支援する左派・ロシアシンパ政党のBSWの票を加えた票以上の票がAfD議員に投票された、投票は無記名なので、誰がAfD議員に投票したのかわからない。しかし、選挙で負け、AfDとは絶対に連立しない、連携しないとする保守・中道のキリスト教民主同盟(CDU)から票が流れた可能性が高いと予想されている。
それに伴い、州レベルでははじめて極右政党AfDの議員が州政治の要職に就任することになった。国内情報機関から極右政党とされる党が、地方自治体ではなく、州において州議会議長という州のトップレベルの要職を占めるのは戦後はじめてのことだ。
同じ10月6日夕方、ドイツの首都ベルリンでは社民党(SPD)の国会議員(連邦議会議員)が、ドイツの憲法に相当する基本法の冊子やドイツ国旗をもって、極右政党AfDの州議会議長誕生に反対するデモを行った。
SPD議員団は1933年5月にナチズムの思想に反するナチスの禁書が焼かれたベーベル広場(当時はオペラ広場)に集結し、同党のピストリウス連邦国防相が極右政党の州議会議長誕生に抗議するとともに、民主主義擁護を誓うスピーチを行い、その後にみんな一緒にドイツ国歌を歌っている。
 |
|
ドイツ国会議事堂(連邦議会議事堂)前に設置されているナチスによって殺害された国会議員の追悼・記念碑 |
|
 |
|
殺害された国会議員のパネルの背には、「SPD(社民党)」や「KPD(共産党)」の文字が見える |
|
SPD議員団のデモは、ドイツのメディアで報道された。しかし第一チャンネル(ARD)や第二チャンネル(ZDF)などメインの報道機関は、「メディ効果の高い行動」と評していたのが目立った。
ぼくはそれには、ちょっとがっかりした。なぜか。
それは、SPD議員団の行動の背景にはナチス・ドイツの歴史からの教訓があると思うからだ。
1933年1月末にヒトラー内閣が成立した後、同年2月27日夜、ドイツ国会議事堂放火事件が起き、ナチス党は共産党による組織的な暴動として共産党の大弾圧を開始する。その時、社民党も共産党と同じ穴のむじなとして弾圧の対象となり、共産党員、社民党党員数千人が拘束された。
さらにその後、共産党と社民党の国会議員が順次殺害、拘束され、強制収容所に送られて殺害されたものもいた。その結果、96人の国会議員が亡くなったという。
亡くなった国会議員の慰霊室が、現在の連邦議会議事堂内に設けられている。それに加えて議事堂前には、その過去を記憶する記念碑が市民によって設置された(上の写真)。
過去の歴史や現在の動向を見ると、極右や独裁制志向の強い政治勢力は、一旦権力を掌握すると、民主主義を無視して権力を拡大し、独裁化をより強化していく。その結果、権力に抵抗する者は排除されていく。
ぼくは極右政党の議会議長誕生に抗議するSPD議員団を見て、社民党議員が過去の教訓から極右勢力の拡大に抵抗しないと、これから将来どうなるかかわらない。ぼくはそういう危機感からのデモであるようにも受け取った。
ナチス・ドイツの過去がありながら、ドイツのメディアはそう感じなかったのか。
(2026年10月08日) |