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指揮者のアントネッロ・マナコルダは2024/2025年のシーズンを持って、15年務めた室内管弦楽団ポツダム・カンマーアカデミーの首席指揮者を退任した。最後のコンサートになったのが、ヴェーバーのオペラ⟪魔弾の射手⟫のコンサート公演ツアーだった。
ドイツ音楽に傾倒するマナコルダだけに、ドイツ・ロマン主義を代表する⟪魔弾の射手⟫を最後に持ってきたのは、わからないでもない。
マナコルダは2021年に、ミュンヒェンのバイエルン国立オペラにおいて前衛的な演出家チェルニャコフの新演出で⟪魔弾の射手⟫を指揮している。
日本語では「魔弾の射手」とされているが、ドイツ語では「Freischütz」といい、「ねらった的に百発百中の魔弾を持つ射撃者」という意味だ。
しかしオペラの⟪魔弾の射手⟫では,7発中6発は的に的中するが、最後の1発は悪魔の意図した的に当たる話となっている。
狩人のマックスは射撃大会で勝たないと、恋人のアガーテと結婚できない。アガーテの父がそう決めているからだ。しかし、練習しても弾が的に当たらない。そこに狩人仲間のカスパールが勝つ方法を教授すると誘う。マックスはその誘いにのるが、カスパールは最後の1発が悪魔の望む的に当たる魔弾となるように悪魔のザムエルに頼み、マックスはカスパールと一緒に魔弾をつくる。
マックスは射撃大会で6発まで見事に的中させた。領主が最後の1発で鳩を撃つよう指示すると、弾は飛び出してきたアガーテに向かって飛んでいく。しかし森の隠者から渡されたバラの花冠のおかげで、アガーテは危うく難を免れ、弾はカスパールに命中した。
マックスは不審に思われ、すべてを打ち明ける。それに怒った領主はマックスを追放するというが、隠者が仲介し、領主は1年の猶予を与えて、2人の結婚を許すことになる。
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ベルリン・フィルハーモニーホールでの公演後のカーテンコールから |
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作品はドイツの民話を題材として、森の魔性と庶民の素朴な生活を組み合わせ、「ロマンチック」な作品になっている。ただ難しいのは、後のヴァグナーなどの楽劇的な作品と異なり、セリフのやり取りが、アリアなどの音楽ナンバーの間に入る「ジングシュピール(歌芝居)」になっていることだ。
ジングシュピールとしては、モーツァルトが⟪魔笛⟫などの名作を残しているが、ヴェーバーの⟪魔弾の射手⟫はモーツァルトからさらに進展して、後のヴァグナーやR. シュトラウスへとつながる重要な役割を果たしている。
ただ歌手がすべて、セリフが上手いとは限らない。ぼく自身、⟪魔弾の射手⟫のナンバーそれぞれはとてもすばらしいと思っている。しかしその間にセリフが入って、音楽のよさが途切れてしまうことが残念でならない。
ぼくは、⟪魔弾の射手⟫をコンサート形式で演奏すると、セリフによって音楽が余計途切れてしまうと感じてしまうのではないかと心配していた。
マナコルダはセリフの部分を排除し、ドイツの有名な女優さんをザムエル役にして物語を説明、進行するテキスト(1971年制作)を朗読させ、その間に音楽とアリアのナンバーをセリフによって途切れないようにまとめ、ある時は叙情的に、またある時はダイナミックに演奏させる。
そのほうが、聴いている方も物語と音楽に引き込まれやすい。それと同時に、物語がロマン主義の時代のものであっても、今現在起こっているかのように感じられてしまう。
まったく新しい⟪魔弾の射手⟫を体験した気分だった。たいへん面白いアイディアだったと思う。
さて、ぼくの買っている指揮者マナコルダはポツダムを離れてどうなるのか。
夏は、ザルツブルク音楽祭でドニゼッティのオペラ⟪マリア・ストゥアルダ⟫を指揮。9月はベルリン音楽祭において、ベルリン・ドイツオペラのオーケストラとともにマーラーの⟪大地の歌⟫を演奏する。来年6月にはベルリン・ドイツオペラにおいて、ロルツィングのオペラ⟪ロシア皇帝と船大工⟫の新演出を指揮する予定だ。
ベルリン・ドイツオペラでは音楽監督のラニクルズが来年6月までの契約。後任を探さないといけない。それだけに、マナコルダのこのスケジュールはちょっと気になるところ。
しかしぼくは、マナコルダにはラニクルズの後任になってほしくない。今のこのオーケストラでは、マナコルダの音楽にはついていけないと思う。
(2025年8月19日、まさお) |