ぼくは昨年2023年4月、ペトレンコ指揮|ベルリン・フィル演奏のコンサート形式によるリヒァルト・シュトラウスのオペラ⟪影のない女⟫を聴いたことについて書いた(「ベルリン・フィルがリヒァルト・シュトラウスのオペラ⟪影のない女⟫」)。
元々はドイツのバーデンバーデンで行われたオペラ公演だったので、そのテレビ放送も観た。しかしどちらも、満足いくものでなかったと書いた。コンサートオーケストラであるベルリン・フィルの限界のようなものを感じたのだった。
今回ベルリン国立オペラで⟪影のない女⟫が上演されるので、早速いくことにした。公演は、2007年4月に新演出されたものの再演。その時は、ズーミン・メータの指揮だった。今回の指揮は、ドイツ人指揮者のコンスタンティン・トリンクス。日本では、東京フィル、新国立でおなじみのようだが、ベルリンではそれほど振ってはいない。
歌手は、皇后役のカミラ・ニュルンド、皇帝役のアンドレアス・シャーガーなど、錚々たるメンバーだった。
演出は、クラウス・グート。今年2024年6月にベルリン国立オペラで公演されたムソルグスキーのオペラ⟪ホヴァンシチナ⟫ でも演出した。ベルリン・フィル公演との違いは、グートの台本の読みの深さにもあると思うが、演出については後で書くことにする。
作品については前述したベルリン・フィル公演の記事で詳しく書いているので、ここでは省略したい。
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ベルリン国立オペラの⟪影のない女⟫のカーテンコールから。舞台前にいるのが指揮のトリンクス |
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ベルリン国立オペラでは、今シーズン(2024年秋)からクリスティアン・ティーレマンが音楽監督を務めている。ただ就任最初のコンサートでは、得意とする作品を並べておきながら、オーケストラがよくなくなったと評判がよくない。そういうこともあって、今オーケストラがどういう状態なのかを知りたかったのも今回、⟪影のない女⟫に行こうと思った理由だ。
公演では、オーケストラは悪くなったどころか、最高のできだった。バイオリンのソロ、チェロのソロもすばらしく、特にチェロのソロは神ががっていたと思う。
トリンクスの指揮も作品をよく知っていることがわかり、シュトラウスの指揮者だとわかる。舞台とオーケストラもうまく合っていた。
歌手では、ヴァグナーではどうもという感じの皇后役のニュルンドだが、シュトラウスのほうが声に合っている。シャーガーの皇帝は、ヴァグナーじゃないんだからと思うが、大きな声で舞台にピーンとした緊迫感を出した。
乳母役のミヒァエラ・シュスターはベルリン・フィル公演でも同じ役で歌ったが、こちらのほうが格段に生き生きしている。
ぼくが関心したのは、バラクとバラクの妻役のオレクサンドル・プシニアクとエレーナ・パンクラドヴァ。夫婦2人の声質が柔らかく、皇帝と皇后とうまい具合にコントラストができていた。
歌手も全体として、とてもよかったと思う。
クラウス・グートの演出は、舞台後ろを壁を動かしてうまく仕切って、小さな舞台にした。オーケストラは大編成で、話の内容も大作だが、むしろ小さな舞台でコンパクトに話を進行させる。それによって、複雑な話の内容をわかりやすくしている。現実のシーンと霊界のシーンも、はっきりとわかるように区別している。それもとてもわかりやすい。何といっても関心するのは、シュトラウスの音楽を深く読み取り、うまく音楽にマッチするように演出されていることだ。
最後は、皇后が舞台中央に置かれたベットで1人となる。ホフマンスタールの原作と違い、皇后も影(愛と子宝をもらうことの象徴)をもらい、皇帝も石にならずにハッピーエンドで終わるわけではない。皇后が霊界に戻ったのか、それとも現実の世界に孤独になって残るのか。それには、回答がない。あるいはそれまでの物語がすべて、夢だったのかもしれない。
国立オペラのオーケストラはやはり、オペラをよく知っているオーケストラだ。指揮のトリンクスははじめて聞いたが、とてもいいと思った。またベルリンに来て、シュトラウスばかりでなく、ヴァグナーの作品も指揮してもらいたい。ティーレマンである必要はない。新しい発見だった。もっともっと注目されて欲しい指揮者だ。
カーテンコールでは、ほとんどの観客がスタンディングオベーション。大喝采だった。
この⟪影のない女⟫はとても、あっぱれだったと思う。シュトラウス・オペラの醍醐味を十分に満喫できる。たいへん満足できた。薦めたい。
(2024年11月01日、まさお) |