今年2024年は、作曲家アントン・ブルックナーの生誕200年。コンサートでは、ブルックナーの作品が多く、取り上げられてきた。
ベルリンフィルでも、ペトレンコ、ヤルヴィ、ヤノフスキ、ヤング、ネスソンス、ブロムシュテットがブルックナーの交響曲を指揮する。その中で、ペトレンコが新しい解釈を聞かせてくれたのはすでに、本サイトでも取り上げた(「ペトレンコがブルックナー第5番」)。
最後に登場したのは、ブルックナー指揮者ともいわれるブロムシュテット。97歳のブロムシュテットが、ブルックナーの大曲を3日続けて指揮すること自体、すごいを通り越して信じられない。
ブロムシュテットが指揮したのは第9番。ブロクシュテットの97歳の誕生日である2024年7月11日に、ブルックナーの眠るオーストリアのザンクト・フローリアン修道院聖堂で同じく第9番を指揮している。演奏はバンベルク交響楽団。その時の演奏録画は、ネットで観て聴いている。その時はじめて、ブロムシュテットが椅子に座って指揮するのを観た。
どうしてもライブで聴きたい。それも、ブロムシュテットを正面から観るため、オーケストラ後ろの舞台ベンチ席がいいと思った。
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公演後のカーテンコールから。写真奥で、オーケストラの前に座っているのが指揮者のブロムシュテット。スマホのカメラの調子が今ひとつで、ピントがあっていないが。。。 |
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第9番は、ブルックナー最後の作品。ベートーヴェンが9番までしか書けなかったことから、ブルックナーは最後の作品になるのを恐れていたといわれる。結局、完成したのは3楽章まで。それでも1時間以上かかる大作だ。
ブロムシュテットは指揮台の椅子まで、コンサートマスターが介助して歩く。椅子に座ると、シャキッとした感じになる。会場は、97歳のブロムシュテットが元気に出てきてくれたことだけで大喝采。
譜面台にはスコアが置いてある。しかし閉じられたまま。ブロムシュテットは開こうともしない。
ぼくは最初の数小節聴いただけで、今日はたいへんな場にいると感じた。
ブロムシュテットは顔の表情が豊かなうえ、手ばかりでなく(指揮棒は持っていない)、からだで指揮をする。わずかな動きがわかりやすく、とても表現豊かだ。ひとつひとつの動きが自然でもある。
何といっても感動するのは、ブロムシュテットに虚栄心も自尊心も、自分が指揮者であることを自負、見せようとするところが何もないこと。自分は音楽を愛する、音楽をしたい。だからここにいる。この場で音楽ができることは何とすばらしいことか。その時と場に感謝し、楽しんでいるようだ。
無の境地で音楽が奏でられる。
ぼくはこれまで、何回も歴史的な演奏を聴いてきた。しかし無に徹した演奏ははじめて。すごいとか、すならしいということばではもう表現できない。
第3楽章が終わっても、ブロムシュテットの両手がいつまで経っても降りない。ゆっくりゆっくりと下がっていくようにみえるが、宙に浮いているようにも見える。目が閉じられ、そのまま逝ってしまってもおかしくない感じもする。
会場は、シーンと静まり返っている。そのうちに誰かがしびれを切らした。「ブラボー」と拍手をしだす。ブロムシュテットはゆっくりと目をあけ、微笑む。ぼくたちのいる世界に戻ってきたように感じる。
ぼくは、何という場にいることができたのか。何と幸せなのか。
(2024年12月31日、まさお) |