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指揮者アントネッロ・マナコルダは、室内管弦楽団ポツダム・カンマーアカデミー(KAP)の首席指揮者・芸術監督を昨年2025年6月で退任した。2010年から15年間、KAPの芸術監督を務め、その間に録音版が何回も表彰されている。マナコルダは退任直後、名誉指揮者に任命される。
マナコルダはその後フリーとなるが、たいへん過密なスケジュールをこなしている。
2025年8月はザルツブルク音楽祭でドニゼッティのオペラ⟪マリア・ストゥアルダ⟫の新演出を指揮する(7回公演)。11月と12月はパリオペラ座でモーツァルトの⟪フィガロの結婚⟫を指揮した(13回公演)。新年に入ると、1月にロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスでヴェルディのオペラ⟪椿姫⟫を指揮し(7回公演)、3月にはニューヨークのメトロポリタン・オペラで同じくヴェルディのオペラ⟪椿姫⟫を指揮する予定だ(9回公演)。その他にも、クリーヴランド管弦楽団やレ・シエクルなど一流のオーケストラを指揮するなど多忙な日々が続く。
2025/2026年シーズンの最後となる6月には、ベルリン・ドイツオペラでロルツィングのオペラ⟪皇帝と船大工⟫の新演出も指揮する(6回公演)。ぼくは、この公演を首を長くして待っている。
どちらかというとまだそれほど知られていないマナコルダだが、指揮者としての実力が世界で認められてきたということでもある。
そのマナコルダがコヴェントガーデンでのオペラ公演の合間を見てこの1月、ポツダム・カンマーアカデミーに里帰りし、ポツダムとケルン、ハンブルク、ベルリンでモーツァルトだけの演目でコンサートをした。
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フィルハーモニー小ホールでの指揮者マナコルダとポツダム・カンマーアカデミーのコンサートのカーテンコールから |
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演奏されたのは、交響曲第1番、オペラ⟪フィガロの結婚⟫第3幕伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア第20曲、コンサートアリアK.582「誰が知るでしょう、いとしい人の苦しみを」、オペラ⟪フィガロの結婚⟫第4幕スザンナのレチタティーヴォとアリア第28曲、コンサートアリアK.583「あたしは行きます、でもどこへ」、交響曲第40番。ソプラノのソロは、南アフリカ出身のゴルダ・シュルツだった。
マナコルダのモーツァルトは、アーノンクールの音を叩きつけるような演奏法に似ている。しかしアーノンクールのモーツァルトよりも、もっと構造的だと思う。
どういうことかというと、アーノンクールの指揮では、音を叩きつけるように演奏させながら、ねじを巻きつけて『音楽を駆動させ』、ねじが緩んでくると、ねじを巻き直す感じがあった。しかし、マナコルダではそういう感じがしない。
ねじを巻きつけても、ねじが緩む前に次の音に対してしっかりとねじを巻く準備がされている。そのため、アーノークールではねじが緩みはじめるとちょっとだらける感じが出ることもあったが、マナコルダのモーツァルトにはだらけるところがない。
アーノンクールのモーツァルトをはじめて聴いた時は、かなりショックを受けた。もうそれに慣れたからショックは受けなかったが、アーノークールを超えて、まったく新しい新鮮なモーツァルトだなあと感じた。
アリアでは、マナコルダがオペラ指揮者であることもよくわかる。レチタティーヴォの時の伴奏が、とても自然に入る。アリアでもオーケストラの音が決して邪魔にならない。歌手よりもオーケストラのほうが音楽的で、オーケストラが歌手を引っ張っていく感じさえした。
ぼくは今回はじめて、意図的にマナコルドを真正面に見て聴いた。
マナコルダが歌詞を口ずさみながら、指揮しているのがわかる。オーケストラが歌手と同じ息遣いで演奏するので、歌手が歌いやすい。
マナコルダの指揮がとてもわかりやすいことにも気づいた。楽章の間で精神統一して新しい楽章に入る時、その都度からだから出るオーラが違う。からだでこういう音を出してほしいといっているのがよくわかった。
ぼくはコンサートの1週間ほど前に、ベルリンのラジオ放送が主催する現代音楽祭最終日のコンサートを聴いていたが、マナコルダのモーツァルトの方が余程モダンだと痛感した。
ソプラノのゴルダ・シュルツは最初、ちょっと喉が温まっていない感じで、あまり乗り切れていなかった。しかし次第に音楽に乗れるようになり、いいものを出していたと思う。
(2026年2月03日、まさお) |