2022年7月06日掲載 − HOME − 脱原発一覧 − 記事
脱原発運動においてプーチン擁護論は聞きたくない

日本の脱原発運動の一部が、温暖化懐疑論やコロナ陰謀論、ホロコースト陰謀論に侵されていることは、すでに前回書いた(「どうして? 日本の脱原発運動」)。


その背景の一つには、日本の脱原発運動が左派運動の一つであることと深く関わっていると思う。そこには、さらなる問題が重なる。


日本の脱原発運動の中には、ロシア政府のプロパガンダ報道機関であるRT(ロシア・トゥディ)の信者も多い。特に長年に渡って脱原発運動をしてきた人の中に、多いと見られる。RTが世界で唯一の中立的な報道機関だと思い込んでいる人も多い。


それは、左派だから仕方がないという問題ではない。そういう人たちは、ロシアの侵攻によるウクライナ戦争をどう見ているかが、ぼくにはそれがとても気になる。


これは、日本の反戦・平和運動にも係る重要な問題だ。


こういう人たちは往々にして、プーチン大統領やロシアの立場を擁護している。戦争を長引かせ、多数の死者を出しているのは、ウクライナのゼレンスキー大統領が徹底的に抗戦しているからだと、弱者のせいにしている。ゼレンスキー大統領を「狂信的指導者」や「最悪の大統領」と称するものもある。


ぼくは、一方的な見方からプーチン大統領とロシアだけを徹底的に批判するのはおかしいと思う。ウクライナ側が感情的なプロパガンダによって世界を見方につけようとし、メディアや西側社会が感情的になって、十分に考えないままにウクライナを応援しているのも危ないと思っている。


かといって、ウクライナの悲惨な状況を見ないで、強者のロシアを擁護し、弱者のウクライナが悪いと批判するのは、まったく納得できない。


今ウクライナで起こっているのは、無差別的な破壊と虐殺だ。ウクライナを地上から消滅させようとしている。そこには、人権を守ろうとする意志どころか、人権のことはまったくない考えられていない。


左派的な考えを持ちながら、ロシアがやることだからと、人権を無視するのは許せるのだろうか。


戦車
第二次世界大戦時の独ソ戦で使われていた旧ソ連赤軍の戦車。ベルリン郊外にあるベルリン・カールスホルスト博物館で撮影。ここでは1945年5月8日、ナチス・ドイツの降伏文書が調印された

ぼくは、ウクライナ戦争を単に欧米とロシアの代理戦争だとレッテルを貼る気もない。それではなぜ、東欧諸国がNATOに加盟し、ウクライナ戦争勃発後にフィンランドとスウェーデンまでもが、NATOに加盟したいとしているのかが、理解できない。


そこでは、平和とは何かが問われている。


戦争が終わって、市民が虐殺されなければ、それで平和なのか。そうではないと思う。


ウクライナをはじめ、東欧諸国が恐れているのは、ロシアに侵攻されて、ロシア支配による独裁体制下になることだ。そうなると、旧ソ連体制下においてそうだったように、民主主義も自由もない。


東欧諸国はそれを、旧ソ連体制下において痛いほど体験した。それを繰り返したくない。それが東欧諸国の強い思いだ。しかし単独では、ロシアに抵抗できない。だから、NATOの集団防衛体制の下に入ったのだ。フィンランドとスウェーデンの思いも同じだ。


東ドイツの社会主義体制下で暮らしたことのあるぼくには、その気持ちは痛いほどわかる。


日本の左派は、冷戦時においてソ連体制下の独裁性に目をつぶってきた。ウクライナ戦争において、ウクライナがロシアに支配された場合、日本の左派はそれを、再び平和になったというのだろうか。


それは、今のところ他国に侵攻される心配のない『平和』な日本に生活しているからいえるのだ。それでは、表面的で『おままごとの平和』しか知らない。そんな『平和』なところから見ていて、死ぬか生きるかの苦しい状況に置かれているウクライナやウクライナのゼレンスキー大統領のことは批判できるのか。


ロシアはさらにウクライナ戦争において、原発を「核兵器」のように使っている。それを現実に見ていながら、脱原発運動においてロシアを擁護することができるのだろうか。それでは、脱原発運動ではない。


脱原発運動は、市民運動である。政治色に染まるべきではない。自分の左派的な立場から、ロシアを擁護、応援するのは自由だ。しかしそれを、脱原発運動に持ち込んでもらいたくない。


(2022年7月06日)
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関連サイト:
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