ドイツにおいて1980年代前半にすでに、脱原発が可能であるとの結論に達していたとしても、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故がドイツに大きな影響を与えたのはいうまでもない。
ドイツではチェルノブイリ原発事故後、南部を中心に放射性物質を含んだ黒い雲が飛来している。その結果土壌が汚染され、野菜などの食料品が放射能で汚染された。食料品の汚染を測定するため、ドイツ各地に市民測定所も誕生する。
小さなこどもを抱える家族の中にはパニックになり、ドイツを離れて避難した人たちもいた。
ドイツ南部のバイエルン州だけでもその後、先天性心臓疾患や水頭症など約3万件の先天性異常(奇形)が記録されている。この実態は、バイエルン州州議会でも報告された。
こうした現実から、原発に対して一般市民にたいへん大きな不安が広がった。民意は反原発に向かう。その時点ですでに建設中だった原発は竣工して稼働したものの、それ以降、ドイツで民意に反して原発を新設するのは不可能となる。
原発の新設が不可能になったのは、ドイツのその後の原子力政策に大きな影響をもたらす。
それは何か。これまでこの問題については、あまり注目されてこなかった。だがこの問題は、ドイツの脱原発において重要な要因になったと思う。
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チェルノブイリ原発事故によるドイツにおける放射能汚染の影響について、ぼくがフクシマ原発事故後にまとめた拙書 |
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それは、何だったのか?
それは、それまでドイツの原発のほとんどを建設してきたドイツの原子力産業がドイツ国内で原発の新設を受注できなくなったことだ。その結果ドイツ国内では、原発のメンテナンスと核燃料製造に限定され、受注量が激減した。
そのため1990年代にはドイツの電力業界などにおいて、ドイツの原子力産業をどう維持していくかで検討され、脱原発の可能性についても議論されている。
ドイツの原子力産業の中心だったジーメンス社は、1990年代はじめからフランスの旧プラマトム社と一緒に第3世代の原子炉「欧州加圧水型炉(EPR)」を共同開発していた。
しかしドイツ政府は前年の2000年、電力業界と脱原発で合意。原子力に対して逆風が強くなった。そのためジーメンス社は2001年、同社の原子力部門を旧フラマトムと合併させた。少数株主として残るが、事実上原子力事業から撤退することになる。
なお旧フラマトムはその後、アレヴァNPとしてアレヴァの傘下に入る。しかし親会社アレヴァの経営が破綻したことから、アレヴァNPはフランス電力に売却され、新フラマトムとなった。
ドイツでは現在、燃料集合体製造工場が主な原子力産業になっている。しかしそれも、新フラマトムの傘下に入っている。
(2023年6月06日) |