ぼくは、ドイツがなぜ脱原発を実現できたのかを検証し、電子書籍として『検証:ドイツはなぜ、脱原発できたのか?』をまとめた。
そこでは、脱原発は短期に実現しても持続性がなく、長いプロセスによって脱原発を実現しない限り、脱原発が定着しないことがわかる。長いプロセスの間に、政治も民意も変わる可能性がある。それでも脱原発を貫徹するためには、いろいろな要因が必要であったこともわかる。
日本とドイツの間には、脱原発に向けた条件に大きな違いがある。ドイツには、日本でいう『原子力ムラ』のような構造はない。原発立地自治体も、日本のように補助漬けにされていない。この違いは日本にとり、脱原発に向けた大きな障害になる。
日本が中央集権化されているのに対し、ドイツが地方分権化されている。この違いもドイツにとり、政治的、経済的に有利な条件だった。
こうして見ると日本と違い、ドイツには脱原発を実現する上で有利な要因がいくつもあったことがわかる。ぼくはそれをはっきりさせるために、ドイツで脱原発が可能となった要因を検証したのではない。
ぼくがドイツの脱原発の要因をまとめたのは、ドイツの脱原発から何か学ぶことがないかと思ったからだ。ドイツの脱原発から、何を学ぶことができるのか。
たとえば電子書籍にも書いたように、再生可能エネルギーの拡大が重要な要因になる。それだけではない。
ぼくがドイツの脱原発の要因を検証して感じたのは、原発に対する見方が違っても、相手を無視するのではなく、「対話する」、「話し合う」がキーワードになるということだ。
ドイツ政府が2000年に、原発を有する電力会社と脱原発で話し合ったのもそうだった。それが、ドイツの脱原発の基点になった。2011年の東日本大震災・福島第一原発事故後に設置された倫理委員会において、社会からいろいろな分野の人たちが集まって話し合ったのもそうだった。
1986年のチェルノブイリ原発事故後も旧西ドイツの市民社会では、市民が原発の問題について議論している。ドイツ南西部のシェーナウでは、原発に反対して市民電力会社を設立し、地元企業と地元市民を説得して、まず地元から再エネを普及させている。
こういうと、反原発活動家からはそんなことでは甘い、政府や経済界に徹底的に反対して活動しないと、脱原発は可能にならないといわれると思う。原発を巡っては、政治と経済が権力を盾に反原発派を無視している。話し合っても意味がない、無駄だともいわれると思う。原発に民主主義はないというのが、活動家のいい分だ。だから戦うのだ。
しかしそういわれても、ドイツの脱原発が対話があったからこそ実現できたという事実は変えようがない。
脱原発後に放射性廃棄物を国内で最終処分する問題についても、政府当局の思うままにされるのがオチだと主張する。これまで原発に反対してきた活動家は、住民参加による最終処分地の選定プロセスから距離を置いている。
国内最終処分の問題は、反対しても先に進まない。どうすれば一番安全なのか、住民と政府機関が話し合って進めていなかい限り、住民参加による最終処分地の選定は実現できない。そうしない限り、最終処分をより安全に行うこともできない。この問題における反原発運動の問題については、すでに本サイトに書いた通りだ(「過渡期のドイツ反原発運動」)。
先日偶然、『原子力の民主主義(Atomare Demokratie)』という本があることを知った。ドイツの原子力の歴史について書いた本だ。著者は、フランク・ウゥケェターと歴史家。環境や農業、技術などの歴史研究が専門だという。現在、ドイツのボッフム大教授を務める。
教授がベルリンでこの本の朗読会をするというので、いってみた。
その時、教授が最後に述べたことばは、ぼくの感じていたこととまったく同じだった。教授は、「みなさん、異なる意見を持っていても、一緒に話し合いましょう、対話をしましょう。それが、ドイツで脱原発を可能にしたのです」といった。
すぐに、原発推進派と対話してこなかった反原発活動家からは反発する意見が出た。しかし同時に、自分はゴアレーベンの放射性廃棄物処分施設に反対する活動に参加していたが、そのうちに運動がおかしいと思って、脱会してしまったという男性がコメントする。脱会した理由は、原発反対運動では自分たちの主張に合う都合のいい情報しか集めないで、それをベースにしてしか議論しないのがいやになったからだという。
男性の話した体験は、ぼくもこれまでよく感じていた。一方的に原発に反対する情報だけを見ているだけでは、情報が偏り、自分の意見も偏ってしまう。原発に反対するにしても、自分たちだけで満足するのではなく、一般市民に原発の問題をどう伝え、どう理解してもらうかも考える必要がある。そうしない限り、一般市民はついてこない。一般市民と対話することもできない。
そうして、脱原発のために底辺を広げていく。
長い脱原発のプロセスにおいては、いろいろなレベルにおいて異なる意見をぶつけて対話する。それが、最終的に脱原発に結びつくと思う。
ぼくは、ドイツの脱原発からこう学んだ。
(2024年6月12日) |