ドイツでは、昨年2023年4月15日をもってすべての原発が停止した。すでに廃炉を開始している原発も多い。
ドイツは現在、住民参加の形で放射性廃棄物の最終処分候補地を選定するプロセスに入っている。最終処分は長期に渡るだけに、最終処分地に関連するデータとその図書を後世の世代に残しておくことはとても重要だ。
最終処分の問題に関して連邦議会(下院)内に超党派で設置された放射性廃棄物処分委員会の最終報告書(B部6.7.3.項)は、最終処分に関するデータと図書を最低2か所の異なる場所に長期間保管するよう勧告している。保管期間として、500年が目安になっている。
最終処分に関するデータと図書の保管問題と連結して議論されはじめているのが、原子力発電の歴史を記憶しておくための場を残しておくべきではないかという考えだ。その場合データや図書だけではなく、現物である原発を遺産として残しておいたほうがわかりやすい。
原発を文化遺産として、『記念碑』のような形で残しておくべきだということだ。
ドイツの原発では廃炉がはじまっているだけに、原発を『記念碑』として残すためには、早急にそのための対策を講じなければならない。
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2024年7月01日にベルリンの技術博物館で行われたシンポジウム「原発を記念碑として残しておくべきか?」から。写真右は、シンポジウムの冒頭でシンポジウムのテーマの概要について解説するカッセル大のフィリップ・オスヴァルト教授 |
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2024年7月01日ベルリンの技術博物館において、最終処分地の選定と運用を監督するドイツ放射性廃棄物処分安全庁(BASE)が主催し、「原発を記念碑として残しておくべきか?」というシンポジウムが行われた。
サブタイトルは、「原発を記憶の場と知識を保存する場としてどう利用できるか?」だった。
基調講演では、原発に関連する地は地図上どう分散されているのか、原発を芸術的に見るとどういう意味があるか、原発という建築は景観上どう意味があるのか、文化遺産として保護するにはどういう問題があるか、歴史的にどういう意味があるか、安全上どういう問題があるかなどについて報告された。
もちろん、すべての原発を記念碑として残すのは無理な話。残すとしても、1か所か2か所だ。ただドイツにはすでに、原子力開発と発電に関わる地が80か所あり、何らかの形で残されている。ただそれは、現地の施設に関わる個別のものとなっているにすぎない。
原発を記念碑にというのは、単に個別のものではなく、原発を産業の一端を担ったものとして残し、総合的、歴史的に伝えたほうがいいのではないかという考えだ。
ぼくはそれだけではなく、軍事目的としての原爆開発からはじめ、もっと原子力全体について伝えるべきだと考える。というのは、その段階で原子炉ができているし、原爆以外に原子力で発電することがすでに想定されていたからだ。反対運動についても、記録を残しておくべきだ。
シンポジウムでは、8年間に渡って原発の跡地や廃炉中の原発などの写真を撮り続けたベルンハルト・ルーデェヴィヒさんの写真も紹介された。ただ実物の原発が残っていたほうが、現実味が格段に違うし、現物を見たほうがわかりやすい。
かといって、実際に稼働していた原発をそのまま残すわけにもいかない。稼働していた原発の場合は、格納容器など原発の外枠だけを除染して残すことになると思う。
貴重な存在は、廃炉中のグラフスヴァルト原発の6号機だ。6号機は完成していたが、ドイツ統一直後に旧東ドイツの原発はすべて廃炉にすることに政治決定されたため、臨界しないまま現物が残っている。ぼくは、その圧力容器の中にも入ったことがある。旧ソ連の原発だが、とても貴重な体験だった。
グラフスヴァルト原発のあるルブミン(旧東ドイツ)では、住民の一部に6号機を残すべきだという運動もあるという。
原発の姿が残ってしまうので、地元住民の支持なくして記念碑にというのは実現できない話だ。しかしぼくは、原発を産業史の一部、技術開発史の一部として残し、産業技術開発における汚点の一つとして後世世代に伝えるのは、意義のあることだと思っている。
シンポジウムには、文化遺産保護の自治体関係者なども参加していた。原発を文化遺産として残すためには、いろいろ乗り越えなければならない法的なハードルがあることもわかった。
だが、ドイツ全体で社会的、政治的に早急に議論すべき意義のある問題だと思う。
(2024年7月02日) |