再エネにおいて効率を追求する

 先日、ドイツの5大経済研究所の一つベルリン・ドイツ経済研究所(DIW)のフラッチャー所長との懇談会にいってきました。その時ぼくが聞きたかったのは、経済的に効率がいいとか、公平だとか、意味があるといっても、そこでは誰にとってそうなのかがしっかり前提になっているかどうかということです。

 一般的には、誰にとってということは問われません。この問題が棚上げされ、今権力を握る現行のシステムにとって効率がいいということが当たり前の前提になっているように思えてなりません。

 この問題については、地道な市民の「誰のための効率なのか」の記事においても考えてみました。

 フラッチャー所長は、経済的に分析する時も、誰にとってというのは考えなければならない問題だといいました。ただ効率については、客観的に分析することができるといいました。

 でも現実問題として、そうなっていないのは前述した地道な市民の「誰のための効率なのか」の記事で見た通りです。誰が既得権益を持っているのか。それが、効率を判断する基盤となります。誰にとってとは、既得権益にとってということです。

 再生可能エネルギーの効率を客観的に判断して比較するには、まずすべてのエネルギー源を太陽エネルギーを基盤に分析しなければなりません。でも現実はそうはなっておらず、再生可能エネルギーは効率がよくないといわれます。

 再生可能エネルギーを利用する上で効率を追求するには、エネルギーを電気や熱、動力燃料の間で区別するのではなく、エネルギーは簡単に変換できることを前提に、それぞれの分野間で連結して使うことを考えなければなりません。

 ただ、現行のシステムではそうはなっていません。電気、熱、動力燃料の連結度が少ないからです。

 変動の大きい再生可能エネルギーを効率的に利用するには、エネルギーを貯蔵することがとても大切です。それが、電気と熱、動力燃料を連結させる基盤になります。

 ただそこでは、経済性の問題も出てきます。たとえば余剰電力で水素を製造する時に、たくさんの電気を使います。それを燃料電池に使うにしても、そのために十分な需要がない限り、水素にしても採算性がありません。でも需要がたくさんあれば、水素を製造、貯蔵するコストが下がります。

 ここで、水素の需要は燃料電池車がどれだけ普及するのかに依存していると思います。でも自動車については、電気自動車なのか、燃料電池車なのか、あるいは生物資源で動力燃料を製造するのがいいのか、まだ方向性がはっきりしていません。あるいは、これらすべての方法が必要になることも十分考えられます。

 水素をメタン化して天然ガス網に導入する場合も同じです。ここでもメタン化にコストがかかりますから、メタン化して採算性が合うかどうかが問題になります。

 でも採算性がないからと、余剰電力を使わないよりは、余剰電力を貯蔵することを考えたほうが余剰電力を無駄にしないことにもなります。

 となると、水素の需要を拡大させることが、再エネの効率にとってとても重要なこともわかります。

 現在のドイツでは、再エネをどのようにシステム化して利用するのがいいのか試行錯誤している段階です。この点で、既存の電力業界からすれば、新参者の再エネは効率が悪いということになります。

 でも、本当にそうでしょうか。

 試行錯誤段階ということは、まだ学習効果が現れていないということでもあります。それに対して、既存のシステムはすでに熟したシステムとなっています。それを現状のレベルだけで比較すると、結果ははじめから明らかです。でも、それで公平に比較していることになるのでしょうか。

 現状レベルで比較するのは、既存のシステムにとっては公平です。でも、まだ熟していない再エネのシステムにとっては公平とはいえません。

 再生可能エネルギーでは、住民総発電事業者になるとっても過言ではありません。その場合、自家発電、自家消費するのが一番効率がいいと見られます。でもその傾向が進んで、産業用に必要な電気も発電できるのかどうか、それが今後の課題になると思います。

 でも今の段階で、それについてできるとか、できないかをはっきりと断定することはできません。可能性を追求する以外にはないというしかありません。

 この点が、再エネに不安を抱かせる欠点であるのは仕方ありません。

(2019年2月17日、まさお)

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