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前回、ドイツ東部が新自由主義の実験台として、徹底てして企業体の整理がおこなわれ、それによってたくさんの労働者が失業したことを書いた(「ドイツ東部で極右政党が台頭するのはなぜか? (3)- 新自由主義の実験台」)。それは、東部の労働者にとって失業することはどういう意味があるのかをしっかり書いて、知っておいてもらうおく必要があるからだ。
社会主義経済下の東ドイツにおいて労働するとは、所得が多かろうが、少なかろうが、社会の一員として社会生活を営み、十分に安定した生活をおくることができるということだった。
さらにそれを具体化すると、コンビナートという巨大な企業体に属することで、たとえばコンサートや劇場のチケットを企業体経由で取得して文化生活を満喫するほか、企業体の保有する保養施設で休暇を過ごすことができた。
労働することで生活するために必要な収入を得るだけではなく、文化や娯楽を楽しむなど、生活に必要なすべての基盤が保証されていたのだった。
社会主義経済は資本主義経済と違い、単に生産効率や企業競争力だけで計ることのできない要素を持っていたといわなければならない。
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ドイツ東部のロイナ化学工場では統一後、3万人いた労働者の90%が解雇された |
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ドイツ統一によって東西の経済を統合するに当たり、東ドイツを吸収した西ドイツの政治、経済にはこの点がまったく理解されていなかった。そのためドイツ東部を新自由主義経済の実験台として、企業体を次々に解体し、たくさんの失業者を出した。
失業したドイツ東部の労働者はそれによってそれまでの生活の基盤を失い、東部市民には自由と安定した生活はお金でしか買えないという意識が生まれてくる。その結果、能力のある、若い働き手は仕事を求めて東部から西部に移っていく。
ドイツ東部では、西部で仕事を見るけるチャンスのない高齢者や職業訓練も受けることができない若者などが残っていく。
ドイツ東部では、都市の中心部で再開発によって、豪華な新しい住宅が建設されていく。しかし地元の住民は、誰も家賃の高い豪華な住宅を借りることができない。住民は都市の中心から離れたところに住まざるを得なくなる。
東部では地方に行けば行くほど過疎化が深刻になり、医師がいなくなるどころか、日々の買い物をするスーパーマケットさえもなくなっていく。この状態で、残された高齢者は生活できるのか。どう生きていくべきなのか。
こうした地方の過疎地に入っていったのが、ドイツ西部から進出してきた極右勢力だった。極右勢力は日常生活が失われていく過疎地で、村祭りなどを開催して市民の生活を取り戻す対策を講じる。それによって、市民の生活の面倒を見る勢力として認められるようになる。
ぼくが拙書『小さな革命』のためにドイツ東部で取材した時も、過疎地に取り残され、ネオナチとなったた若者などから、極右勢力が自分のことを市民として真剣に受け止めてくれる唯一の存在だということをよく聞いた。
ぼくはそうした発言を聞いて、拙書において「ドイツ東部がドイツ西部で存在意義を失った極右勢力の温床となる」と書いたのだった。
ドイツ東部の過疎地にいくと、選挙だというのに街頭にAfDの選挙ポスターしか貼られていないことも多い。本来ドイツ東部を地盤とする左翼党でさえ、党首が記者会見で党員の高齢化で過疎地でまで選挙戦を展開する人材がないと暴露したことがある。極右以外の党は、そこまで選挙区全体で選挙戦を展開する余裕がないということなのか、過疎地の票は限られていると、過疎地の票を見捨ててしまっているのか。
これが、ドイツ東部の現状だ。この現実を知ると、過疎地の市民が見捨てられていると思っても仕方がないのではないか。
(2024年10月07日) |