2024年10月05日掲載 − HOME − 小さな革命一覧 − 記事
ドイツ東部で極右政党が台頭するのはなぜか? (3)- 新自由主義の実験台

ぼくは東ドイツにいた時、東ドイツの石油精製工場などの巨大な工場に化学プラントを設置する邦人企業のプロジェクトにおいて、機器や資材の調達を任されていた。東ドイツで調達するといっても、プラントにおいて重要なものは西ドイツやスイス、イタリアなどから調達していた。


その時西ドイツから調達することで、西ドイツ経済モデルである社会的市場経済とは実際に、どういうものなのか、どう機能でぃているのかを実体験できたと思う。


西ドイツの経済は中小企業を中心とする構造。中小企業がそれぞれ高度で、特殊な技術を持っている。そうして技術において、この企業はこの技術、あの企業はこの技術と、技術に関して企業間で区割りがはっきりしていた。


企業同士が同じ技術を得意としていても、企業間で販売地域の区割りもはっきりしていた。競争相手の販売地域には割り込まないという暗黙の了解もあったと思う。


こうして、過剰な競争を行わない経済原則がしっかりと守られていた。これが西ドイツの社会的市場経済なのかと、ぼくはたいへん関心していた。


それに対して東ドイツの経済構造は、産業分野毎に産業が「コンビナート」と呼ばれる巨大な国営企業体に統合され、企業活動において必要なものはすべてコンビナート内で自己処理し、外注しない構造になっていた。そのため、中小企業はほとんどなかった。


1989年11月に東西を分割していた壁が崩壊すると、東西ドイツ統一への流れが急激に加速する。統一とともに、東ドイツの計画経済の社会主義経済を自由経済の資本主義経済に転換しなければならない。ただそういうだけで、東ドイツの現実を見ているだろうか。


実際には、東西で経済力に大きな差がある上に、まったく経済構造の異なる東西の経済をどう統合するのか。これまでの歴史にはないはじめての試みだった。


統一といっても現実は、西ドイツによる東ドイツの吸収、植民地化だった。だから西ドイツの思うままに、東ドイツの政治、経済、社会の改革が進められていった。


ここで「西ドイツの思うままに」とは、自国の社会的市場経済原則ではなく、東ドイツには新自由主義(ネオリベラリズム)原則を用いて、競争力と生産効率を基準に東ドイツの巨大企業体を徹底的に破壊し、労働者を切り捨てていくことだった。それが、資本主義経済への移行過程において市場競争力のない巨大国営企業を民営化する手法だった。


西ドイツの社会的市場経済と西ドイツの労働市場を守るためには、1990年の統一によってドイツ東部にドイツ西部企業の競争企業ができてはならない。西ドイツに東ドイツの市場をカバーするだけの十分な生産力があったからだ。東部から西部にたくさんの労働者が流れて、西部において失業者が増えてはならない。それが、統一の前提だったといわなければならない。


そのために、ドイツ東部では十分な社会福祉政策もなく、競争力がない、生産効率が悪いからという理由で、旧東ドイツの巨大コンビナートがめった斬りに整理されていった。ドイツ東部が新自由主義の実験台になったといってもいい。


その犠牲になったのは、東ドイツの計画経済の元で働いてきたたくさんの労働者だった。


たとえばぼくが統一前後にプラント建設のために働いていた旧東ドイツのロイナ化学工場では、3万人の労働者のうち工場に残ることのできた労働者はその10分の1の3000人だけだった。


こうしてドイツ東部では、たくさんの労働者が失業していった。それと同時にドイツ東部の市場では、西部企業間で過酷な市場獲得競争がはじまる。


統一後の1991年から2004年の失業率を見ると、ドイツ西部で6.2%から9.4%に上がっているのに対し、ドイツ東部では10.2%から20.4%にまで上がっている。5人に1人が失業していることになる。しかしコロナ禍前の2019年の失業率は、ドイツ西部で4.7%と1980年以来最低を記録し、東部でも6.4%と統一以来最低となった。2024年の失業率はこれまで、西部で5.3%、東部で7.2%となっている。


統一から34年経った現在、東西の失業率に大きな差がなくなっているのがわかる。しかし給与を東西で比較すると、まったく異なる現実が見えてくる。


たとえばベルリン近郊の旧東ドイツ地区に完成したベルリン新空港の技術者の給与を見ると、空港内で同じ仕事をしていても東部出身技術者の給与は西部出身者の85%にすぎない。


統一から34年経っても労働市場において、東西の格差がまだなくなっていないのがわかる。同じ職場で同じ仕事をしているにもかかわらず、東西の出身が異なるだけで給与に差があるのはどういうことなのか。政治が何もしてこなかったのはなぜなのか。あるいは、それが新自由主義ということなのか。


旧東ドイツ(ドイツ東部)の労働者は長い間、この不公平に耐えてこなければならなかった。第三者のぼくから見ると、よくまあ長い間こんな不公平にがまんしてきたなあといわざるを得ない。


(2024年10月05日)
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拙書『小さな革命、東ドイツ市民の体験、統一プロセスと戦後の2つの和解』
関連資料:
ドイツ政府の2024年東西ドイツ統一状況報告書に関するページ(ドイツ語)
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