旧東ドイツは、化学産業が盛んなところだった。その中心は、旧東ドイツ中部にあった。ビッターフェルト、ブーナ、ロイナ(いずれも現在ザクセン・アンハルト州)が東ドイツ中部の化学産業三角地帯といわれた。それに、ライプツィヒの南にあるツァイツ(現在ザクセン・アンハルト州)も加えることができるかと思う。いずれもコンビナートといわれ、巨大な工場地帯となっていた。
しかしこの地域がそれによって、旧東ドイツにおける公害の元凶になっていたのを忘れてはならない。
ぼくはベルリンの壁が崩壊する直前の1989年秋から、ロイナ工場ではじまった化学プラントの建設プロジェクトに関わっていた。
それで驚いたのは、工場内では配管と配管を支えるパイプラックがどこを見ても錆だらけ。工場敷地を歩いていると、錆のかけらが顔に当たる。それが、戦前ドイツの化学産業の発祥地といわれたロイナの廃れた姿だった。
工場敷地横に駐車しておいた車は、仕事が終わって帰宅する時には埃に塗れていた。
悪臭がひどかったのはブーナ(シュコウパウというところにある)。ブーナの工場脇を車で通る時は、悪臭がひどいので片手を鼻にあて、もう一つの手でハンドルを握って片手運転しなかればならかった。
秋になると、地域一体は濃い霧に包まれた。一度、前がまったく見えなくなるほど霧が濃くなったことがある。車で帰宅するのに、同僚に車の前を歩いてもらって徐行運転しないと、どう進めばいいのかまったくわからなかった。住宅が並んでいるところには、道路の経路を示すために松明が焚かれていた。
東ドイツの体制が崩壊する民主化運動の中心の一つが、その三角地帯近くのライプツィヒにあった。統一後、民主化運動に参加していた市民に聞くと、当時のすごい環境公害から抜け出すには、自分たちが立ち上がるしかないと思ったからだといった。
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ドイツ東部中部にあるロイナの工業団地。新しいパイプラックなどが見える |
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統一後、これら化学工場はたたき売るかのように二束三文で売却され、処分されていった。工場跡地には、化学産業によるひどい汚染が残された(残留汚染)。
ロイナ工場では、東ドイツ時代3万人が働いていた。それが、工場に残れたのは3000人くらい。解雇された人たちの中には、手に職のある技術者なとが自立していった。あるいは、フランスの石油大手トータル(現在)によって新しく建設された石油精製工場に残ることのできる人もいた。しかし、ほとんどが失業者となった。
ぼくは10年ほど前、ロイナ工場の跡がどうなったのか取材することができた。昔あったプラントのほとんどが解体され、なくなっている。配管とそれを支えるパイプラックが新しく設置されている。しかしその数は、当時に比べると激減している。敷地内には、新しく誘致された化学工場があちこちに見られるが、空き地になっているところが俄然多かった。
ロイナ工場の跡地は、化学産業の工業団地になっていたのだ。個人的には、空き地の多い敷地を見ると、寂しい気持ちになる。しかし今後は、ガソリンの代替燃料となるエタノールや水素などの製造で、持続可能で環境にやさしい化学産業を誘致し、産業立地場所として復活させたいということだった。
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ドイツ東部南東部のシュワルツハイデ化学工場の跡にできたラウジッツ工業団地。写真は、工業団地内に誘致された化学工場で残った残さを燃やして発電する発電プラント |
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ぼくは2週間ほど前に、露天掘り炭鉱と石炭型火力発電による石炭産業から構造改革しなければならないドイツ東部南東部にあるラウジッツ地方の状況について書いた(「露天掘り炭鉱跡にワイン用ブドウ畑も」)。
ただラウジッツ地方にも、化学産業がある。ラウジッツ地方西部シュヴァルツハイデ(現在ブランデンブルク州)の化学工場だ。工場は統一後、旧西ドイツの化学大手BASFに買収された。ここでも採算性のあるプラント以外はすべて、解体されて処分された。敷地はBASFの管理下で、化学産業の工業団地になっている。
ぼくは1カ月前に、その工業団地を取材することができた。ロイナの工業団地よりは空き地が少ないが、やはり空き地が目立つ。
しかしラウジッツ地方を再生可能エネルギーによるエネルギー立地地帯に構造改革する方針から、敷地内と敷地周辺では太陽光発電と風力発電をはじめているのがわかる。今後は再エネによる発電容量をさらに拡大するほか、発電された再エネ電気のために大型の蓄電池施設も建設するという。
それとともに、誘致した化学工場に再エネによって発電された電気を供給できるようにするという。
再エネを基盤とした構造改革が着々と進んでいると感じた。
(2025年10月15日) |