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前回、「手工業と再エネで構造改革」の記事でハルツ地方イルゼンブルク(旧東ドイツ、現在ザクセン・アンハルト州)で手工業業者の職人さんが、地元の構造改革に貢献していることを書いた。
しかし人口1万人くらいの小さな町に、なぜそれほどたくさんの職人さんがいるのか疑問に思うと思う。
それは、旧東ドイツの経済構造と無縁ではない。
東ドイツの経済は、巨大なコンビナートからなる大規模企業だけで構成される経済だった。そのため、コンビナートには工場に必要なものをすべて自分たちで処理するための人材が維持されていた。そのため、中小企業がまったくない構造だった。必要なかったといってもいい。
ドイツ統一後、巨大なコンビナートは次から次に解体され、従業員は解雇されていく。統一後、社会主義体制の計画経済から資本主義経済に移行するには、中小企業なくして経済は成り立たなかった。
東ドイツ経済のもう一つの特徴は、東欧社会の経済の優等生といわれた東ドイツだったが、現実はそうではない。品不足、物がないことが深刻な問題だった。
消費者どころか企業も、ほしいものがあっても手に入らない。ある時に買えるだけ買って保管し、次にまたほしいものが手に入る時に買うという生活をしていた。たとえばクリスマスの時に欲しいロウソクは、クリスマスが終わった直後から次のクリスマスのために買いだめしなければならなかった。
壁紙を張り替える時、たとえ長年かけて壁紙がそろえても、壁紙を張る職人はいない。そのため、友人に手伝ってもらって自分で壁紙を張り替えるしかなかった。
コンビナートでも、機械が壊れても壊れた部品の予備品はない。そのため、コンビナートの工房で自力で部品をつくるか、何らかの工夫をして壊れた部品を修理するしかなかった。
ぼくが化学プラントの建設に関わっていたロイナ工場では、こうして19世紀中頃に製作されたポンプがまだ稼働していた。
ガラスコップは通常、落とすと割れてしまう。しかし品不足の旧東ドイツでは、ガラスコップが割れてしまうと、代わりのコップがない。
そのため東ドイツでは、落としても割れないガラスコップが開発されていた。これはすごい技術だと思う。品不足社会にはなくてはならない技術だった。ところが西側の資本主義経済では、まったく関心を持ってもらえなかった。物は壊れないと新しい品物が売れないので、経済が成り立たないといわれたという。
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手持ちの東ドイツ時代の写真には、当時のガラスコップの写っている写真はこれくらいしかなかった。この中に割れないガラスコップがあるかは、これだけではちょっと判断できない |
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資本主義経済では、壊れない物ではなく、壊れる物をつくる。それが経済を循環させる。そうして使い捨て社会ができる。壊れたものはリサイクルすればいいともいうが、それは詭弁であって、何でも新しい物をつくって買わせ、利益を上げるのだ。
東ドイツの品不足、物がない社会では、物を大切にして長持ちさせる。壊れたら、自分か友人に助けてもらって自分たちで直す。それによって、人と人の絆も深まり、助け合う共生社会が生まれる。
これは、個人個人が職人としての能力を蓄積するということでもある。同時に、物がない状況で修理するには工夫が必要になり、技術に対する創造性も生まれる。
ぼくがロイナ工場で化学プラント建設に関わっていた時、クラインアントであるロイナ工場側のへフターさんは技術責任者のような役割をしていた。ヘフターさんは統一後、ロイナに建設される新しい石油精製プラントの建設に関わり、プラントができると、プラントの運転副部長を務め、その後さらにプラントで製造されたガソリンなどの製品の販売部長になった人物だ。
そのへフターさんに20年ぶりにあった時、「東ドイツ時代から今持ってきたいものはあるか」と聞いたことがある。その時へフターさんは、「(技術者の)柔軟性と創造性」だと答えた。
東ドイツ時代は物がないので、プラントを常時運転していくには、いろいろ考えて工夫しなければならなかった。しかし今の資本主義社会では、壊れたら予備品に取り替えればいい。そのためには、何も考えなくていいし、工夫も必要ない。だからへフターさんには、今の社会の若い技術者には柔軟性と創造性がないと映るのだ(拙書『小さな革命、東ドイツ市民の体験』ページ203、204)。
これは、物のなかった計画経済と物が過剰にある資本主義経済の両方を体験したへフターさんだからいえることでもある。
こうして当時の東ドイツ社会を見ると、イルゼンブルクのような小さな自治体であっても統一後に手工業が生まれ、経済を支える地盤があったことがわかると思う。
物がないということは決してマイナスではない。それによって生まれる利点もある。人間には、物がないことをカバーするだけの知恵と能力があるからだ。
ぼくたちは今、物が過剰にあるからその知恵と能力を忘れてしまっているのではないか。
(2025年10月17日) |