2026年4月15日掲載 − HOME − ぶらぼー! − オペラ
脱帽!こんな⟪ラインの黄金⟫ははじめて

ザルツブルク・イースター音楽祭は1967年、カラヤンによって創立された。カラヤンが常任指揮者を務めていたシンフォニーオーケストラのベルリン・フィルを引き連れ、ザルツブルクでオペラ作品を上演するのが大きな魅力だった。


それ以降イースター音楽祭は、毎年イースター(復活祭)を前後して10日間ほどかけてカラヤンの生地オーストリアのザルツブルクで開催されている。


最初に演奏されたのは、ヴァグナーの舞台祝典劇⟪ニーベルングの指環⟫の第一夜⟪ヴァルキューレ⟫。カラヤンは4年かけ、⟪ニーベルングの指環⟫全4作を上演している。


ザルツブルクにおけるオペラ公演の伝統は、カラヤンの後任アバドとラトルに引き継がれる。しかしベルリン・フィルは2013年からザルツブルクを離れ、ドイツ南西部のバーデン・バーデンでイースター音楽祭を開催する。


今年2026年、ベルリン・フィルは13年ぶりに常任のペトレンコとともに、バーデン・バーデンを離れてザルツブルクに戻った。演奏されたのは、⟪ニーベルングの指環⟫の序夜⟪ラインの黄金⟫。ベルリンでは例年通り、ベルリン・フィルの本拠地フィルハーモニーホールでコンサート形式で上演された。しかし残念ながら、1回だけの公演だった。


⟪ラインの黄金⟫は序夜とあるように、その後に続く3作の前座のような作品だ。そこでは、小人アルベリヒがラインの乙女たちから持ち去ったラインの黄金から指環をつくり、指環を巡る物語の基盤ができる。


音楽的にも、その後3作で使われるライトモティーフがすべてでてくる。しかし、ライトモティーフがまだ完全に完成していないように作曲されているのもみそだ。


神々の長ヴォータンは、巨人兄弟のファゾルトとファフナーに神々の城ヴァルハラを建設させた。しかし兄弟が建設の代償としてヴォータンの妻の結婚の女神フリッカの妹美の女神フライアを求めたことから、アルベリヒから黄金と指環、隠れ頭巾を奪い取り、それを巨人たちに渡してフライアを取り戻す。しかし、アルベリヒが指環に指環を持つと不幸になるよう呪いをかける。


神々は新しくできたヴァルハラの城に入城する。しかし神々は、自分たちが衰退する運命をたどることになるのに気づかない。ライン川からは、ラインの乙女が黄金を返すよう求める声が聞こえる。


こうして指環を巡る物語がはじまるのだ。


まず、歌手のキャスティングからいっておきたい。


大きなオペラハウスでヴァグナーの作品が上演される場合、どこにいっても「ヴァグナー歌手」といわれる歌手たちが登場する。


しかし今回の歌手には、これまでヴァグナー歌手といわれてきた歌手は誰もいない。ドイツ人歌手もヴォータン役のゲアハーハーだけ。そのゲアハーアーも、ヴォータンを歌うのははじめてだ。


ゲアハーアー以外は若い歌手が多く、ほとんどがこれからという歌手。英語圏出身の歌手が多く、アジア系(中国、韓国)の歌手も3人入っている。


ゲアハーアーはドイツ・リートの専門家で声がリリック的。ヴォータンには向いていないといっていい。しかし歌うというよりは、語るように歌うのはヴァグナーの作品ではとても大切なこと。リート歌手のゲアハーアーにははまっていた。ドイツ語の響きが背中がぞくぞくするくらいすばらしい。ちょっと『教授』的なヴォータンだったが、ヴァグナーの作品もダイナミックなだけではなく、深味のあるドイツ語の響きを必要とするんだと痛感させられた。


そのゲアハーハーに合わせ、他の歌手にはそれほどダイナミックな声の歌手はいない。ただ巨人兄弟だけは別格。ダイナミックな声の歌手が選ばれている。


関心したのは、ドイツ人ではない歌手たちのドイツ語がすばらしいことだった。


歌手のキャスティングには、指揮のペトレンコの強い思い入れが感じられてならない。あまり知られていない若い歌手を使う勇気にも脱帽したい。


それが見事に当たったと思う。


ペトレンコは最初、今一つのってない感じがした。しかし第二場で巨人たちが登場すると、オーケストラが俄然ダイナミックになる。場面ごとのコントラストがはっきりし、自分はこう演奏させたいのだというのがはっきりわかるようになる。オーケストラがその通りについていく。


ペトレンコの要求は高く、これでもかというくらいにすごく大きな音を求められたり、刃物のような鋭さを求められる時もある。かと思うと、不気味な薄気味の悪い音、少し遊び心のある音など多様な音色と音量が求められる。


楽団員はみんな、たいへんなパワーで演奏しなければならない。しかし、みんなが楽しそうに音楽を満喫しているのがわかる。


それでいい公演にならないはずがない。ぼくは⟪ラインの黄金⟫を何回も聴いているが、こんなにすごいと感じる⟪ラインの黄金⟫ははじめてだった。


先に未完成風に作曲されたライトモティーフについて書いたが、その辺も織り込み済み。ペトレンコはまだ完成していないよということをうまく醸し出す。


最後のフィナーレもダイナミックでありながら、ダイナミックのまま終わるのではなく、何か不気味な予感を感じさせるように音量を落として終わる。


会場では、ペトレンコの手が降りるのを待ちきれないように「ブラボー」が連発された。ほとんどの聴衆がすぐにスタンディングオベーションして大喝采。会場全体が恍惚状態になったといってもいい。


聞いたところでは、ザルツブルクでの公演は演出がよくなく、全体としてあまり評判がよくなかったという。


しかしベルリンではコンサート形式なので、演出のことを気にせずに音楽に集中して聴けたのが大きい。それは、ベルリン・フィルがそれだけすばらしい演奏をしたからでもある。


しかしコンサート形式ではオペラ公演と違い、歌手が役になりきるのが難しいところもある。これは今回も、第一場で感じられた。


ぼくはこれまで何回も書いてきたが、ペトレンコはオペラ指揮者だ。それに対して、ベルリン・フィルはシンフォニー・オーケストラ。シンフォニー・オーケストラにとり、オペラ作品を演奏できる機会があるのはたいへん大切なことだ。しかしかといって、年に数回のオペラ公演でオペラ・オーケストラになれるわけではない。


それは今回も感じられた。ぼくは首を長くして、ペトレンコがベルリン国立オペラでオペラを指揮してくれるのを待っている。


前任のアバドもラトルもベルリン国立オペラでオペラを指揮した時には、何か別人になったように感じられたのは忘れられない。


はーやくこい、ペトレンコ!


(2026年4月15日、まさお)
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関連サイト:
ベルリン・フィルの公式サイト
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