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室内管弦楽団ポツダム・カンマーアカデミーの首席指揮者・芸術監督を今年2025年6月で退任したばかりのアントネッロ・マナコルダが、昨年に続いてベルリン音楽祭に登場した。フィルハーモニーホールにおいてマーラーの⟪大地の歌⟫を指揮する。演奏は、ベルリン・ドイツオペラのオーケストラだった。
今のベルリン・ドイツオペラのオーケストラの状態では、マナコルダにはついていけないと書いたばかり(「マナコルダがコンサート形式で⟪魔弾の射手⟫」)。ただマナコルダが、やる気のない演奏の続くオーケストラにどの程度喝を入れることができるのかにも関心があったのは確かだ。
ベルリン・ドイツオペラのオーケストラについては今年2025年7月に、コンサート形式でマスネのオペラ⟪ウェルテル⟫を聞いた。いつもになくよくやっているとは思ったが、このオーケストラではやはり限界があるなあと感じていた。
しかし、マナコルダのマーラーを聞きたいという衝動には勝てなかった。チケットを買うことにした。
⟪大地の歌⟫の前に演奏された細川俊夫の⟪開花II⟫(2011年)は、マナコルダが⟪大地の歌⟫に合わせて選んだという。小編成で短いが、静かでより美しく、より肯定的な背景を感じさせる作品。⟪大地の歌⟫の『前奏曲』にいいと感じたという。
この『前奏曲』の段階で、オーケストラがいつもと違う感じがした。特に木管楽器の演奏者が真剣に、やる気満々に演奏しているのが印象的だった。
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フィルハーモニーホールでの⟪大地の歌⟫の後のカーテンコールから |
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⟪大地の歌⟫は、マーラーが9番目に作曲した交響曲だが、交響曲第9番とはならなかった。「第9番」のジンクスについては、ここでは語らない。テノールとアルト(ないしバリトン)のソロが交互に入り、全体で6楽章で構成される。その点、歌曲集的な要素がある。しかし作品の構成を見ると、主題が展開して繰り返され、交響曲の構造を有している。
歌詞は、李白らによる唐詩をフランス語に翻訳されたものをベースにして、マーラー自身が書き直したり、追記している。
歌詞のメインテーマは死といっていいと思う。最終章の最後は、アルトが「永遠に」と何回も繰り返して終わるが、マーラーはこの部分に、「完全に死に絶えるように」と書き入れている。ただこの部分には、長調とも短調ともいえない和声が使われている。
オーケストラは大編成だが、この作品は室内楽曲的に書かれていると思う。木管楽器、管楽器、弦楽器のソロがあちこちに盛り込まれ、ある時はそれが自然の声のように醸し出される。
マナコルダはその点をしっかりと、音楽づくりの中心においていた。室内楽曲になるように、ソロの音色がいつも表に出るようにオーケストラがうまくコントロールされている。その点、ソロを担当する演奏家の腕の見せ所をつくっていたともいえる。ソリストたちがノリに乗っていたのが眩しい。
第5楽章のオーケストラによる間奏部分はオーケストラの響きがとても豊かで、アジア的なところもうまく引き出されていた。
⟪大地の歌⟫をよく聞いてきた人には、一番最後のアルトによって「永遠に」と何回も繰り返される部分の音楽造りに納得いかないのではないかと思う。マナコルダはここでは重くせず、どちらかという軽く、浮き上がっていくように演奏させていた。メゾ・ソプラノのオッカ・ヴォン・デア・ダムラウの声が細く、音色もあまり豊かではないから、オーケストラを引き気味に演奏させたのか、マナコルダがそう意図したのかは、本人に聞いてみないとわからない。
ぼくは、ベルリン・ドイツオペラのオーケストラがこんなに音色豊かに、抑揚もテンポの変化も柔軟にこなしているのをはじめて体験した。これまでそれができなかったのは、指揮者の問題だったのだと思う。
マナコルダは十分すぎるくらいにオーケストラの良さを引き出していた。ぼくは、ベルリン・ドイツオペラのオーケストラがこんなにいいオーケストラであることをはじめて知らせられたと思う。
マナコルダは来年2026年6月に、ベルリン・ドイツオペラにおいてロルツィングのオペラ⟪ロシア皇帝と船大工⟫の新演出を指揮する予定。正直にいうとつまらない作品だが、マナコルダがどう料理してくれるのか、たいへん楽しみだ。
(2025年9月23日、まさお) |