日本では昨年(2022年)年末に向けて、怒涛の如く原発推進へと舵取りされた。
GX(グリーントランスフォーメーション)として、カーボンニュートラルを目指す枠組みにおいて、どんどん原発を推進しようという目論見だ。
その結果、原発の新設やリプレース、運転期間の延長が『環境保護』の名目で盛り込まれてしまう。
この問題では新年に入り、パブコメが軒並みに続いている。反原発運動グループは、パブコメに脱原発を求めるコメントを多数送る作戦だ。だが政府の方針は、変わらないと思う。
ぼくは昨年10月から、2カ月近く日本にいた。その時に感じたことからいうと、日本では脱原発はまだ、かなり遠いと思う。
それはなぜか。
ぼくは、脱原発グループのメーリングリストなどに入っている。そこから送られてくるメールだけを読んでいると、日本でも反原発運動が活発なように見える。
しかしそれは、その中だけでのこと。一般社会では、まったくそうではない。反原発、脱原発の気運はまったく感じられない。反原発運動がグループの内輪だけで浸透し、一般社会にまで入り込めていない。
それは、どうしてなのだろうか。ぼくは自問してみるしかなかった。
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廃炉中だったリンゲン原発の格納容器。格納容器は30年間密封された後に解体された(安全密封) |
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原発の危険性やフクシマ原発事故の問題だけから脱原発を主張しても、一般社会にはもう通じなくなっている。フクシマ原発事故はかなり遠い過去のことになっているのだ。一般社会はフクシマ原発事故のことに、もうあまり関心を持っていない。
メディアにおいても、一部メディアを除くと、原発やフクシマ原発事故の記事はごく少数だ。テレビでは、原発の怖さも原発の問題も知らない『原発専門家』といわれる人たちが、原発について語っている。
日本では、評論家といわれる人たちがたくさんいる。しかし評論家といわれる人たちの中には、何もわかっていない人が多い。大学教授としてメディアに登場するいわゆる『スター教授』の話を聞いて、程度の低さに唖然としたことが何回もあった。一体どうして、この程度の認識で大学教授になれたのか。その能力を疑ってしまった。
エネルギーが高騰する理由を説明する経済記者が、テレビの解説でしっかりと説明できなかった。メデイアにおいてはそれで十分なのだから、この現実も悲しい。
これは、あらゆるテーマにおいてそうだった。こういう状況なので、一般社会には原発の問題どころか、社会の抱える数々の問題が正確には伝わらない。アバウトな情報どころか、フェイクとさえいえるものもあった。
この状況では、いくら脱原発を主張しようが、一般社会には到達できないと思う。
ドイツにおいて脱原発が可能となるには、反原発運動だけでは不十分だった。ドイツにおいても、反原発運動はチェルノブイリ原発事故後も、一般社会には浸透しきれなかった。ドイツではその後、再生可能エネルギーの拡大によって原発に代わるエネルギーがあることがはっきりと現実のものとなる。そこではじめて、一般社会が脱原発に目を向けるようになった。
経済界においても、電力市場の自由化などによって発電を巡る環境が変わる。電力業界では、発電だけで利益を上げることができなくなる。原発は逆に、重荷に感じられるようになる。
ぼくは、一般社会と経済における変化がドイツにおける脱原発への分岐点だったと思っている。
日本では、政治と経済が盲目的に原発推進へと進んでいる。ぼくから見れば、それは日本の将来を破壊する自殺行為だ。
それに対抗するには、まず一般社会が脱原発へと動かない限り、日本社会は変わらない。それには、ボトムアップが必要だ。
原発の問題の全体をできるだけ正確に、わかりやすいように、一般社会に伝えることからはじめる必要がある。
原発が危険だからとか、フクシマ原発事故があったからだけでは、原発のことは伝わらない。原発をエネルギー源の一つとして、その他のエネルギー源とどう違うのか。それでどうして、原発ではダメなのか。原発がどうして気候危機を解決しないのか。代替エネルギーになるのは何かなど。原発に関わる問題について、できるだけ簡単にわかりやすく伝えていく必要がある。
それと同時に、再エネが一般社会において目にみえるように拡大し、再エネの利点が一般社会に理解してもらえるようになることも必要だ。
同時に「草の根」に戻り、日常において家族や友人、知人などと一緒に原発の問題について地道に話していくことも必要だ。
ぼくには今のところ、こういう方法しか思いつかない。
(2023年1月18日) |