脱原発が将来を決める
日本のエネルギー基本計画を更新するための審議会で、たくさんの委員が原発復権を求めたといわれます。その新聞記事を読んで、いくら原発を復権させるといっても、原発自身はどう思うのだろうか。ぼくは考え込んでしまいました。
原発復権について原発はどう思うのだろうか。その本音を「ゲンパツくん」に代弁してもらう形でまとめたのが「原発復権させるって本当?」の記事でした。
日本では菅首相が急に、日本も2050年までにカーボンニュートラルを目指すと発言しました。今まで、気候変動にまったくといっていいほど無関心だった日本政府の方針転換に、ぼくはびっくりしました。政府も経済界もこれまで準備していないのに、「それは無茶」と思いました。
カーボンニュートラルを実現するに当たり、日本政府には原発に依存し続ければ大丈夫という安易な気持ちがあるのではないかと思えてなりません。でもその安易な気持ちが、日本の将来をダメにする根本なのだということも知ってもらいたいと思います。
それは、なぜでしょうか。
原発の技術は、過去のものだからです。それは、ゲンパツくんが「もう疲れたから、再エネに譲りたい」といっていることからもわかります。その過去の技術に依存し続けていては、国際的に取り残されます。
ビル・ゲイツが小型の最新高温炉を推進しているではないかという人もいると思います。でも原発では、いくら新しい原子炉が出てきても、その根本的な技術は変わりません。根本的な問題も変わりません。
原発では、核エネルギーを熱エネルギーに変え、その熱で蒸気をつくります。蒸気は温度差によって動くので、その運動エネルギーを電気エネルギーに変換して発電します。その結果、核のゴミが残ります。ただここでは、核のゴミの問題には触れません。
ここで注目したいのは、原子力発電の原理が蒸気機関を基盤にしているということです。蒸気機関は、18世紀後半にはじまった産業革命に由来します。それについても、このサイトで何回も書きました。
ぼくはまた、アインシュタインのことばも何回も引用してきました。それは、「問題を引き起こしたのと同じ方法で問題を解決するのは、不可能である」ということばです。
原子力発電は地球温暖化を引き起こす二酸化炭素を排出しないから、気候変動に対する救世主だと思っている人が多いと思います。でもここで、気候変動が主に、産業革命によって引き起こされたことを忘れてはなりません。
原子力発電の利用する蒸気機関は、産業革命に由来します。アインシュタインのことばを借りれば、産業革命に由来する蒸気機関に依存していては、産業革命によって引き起こされた気候変動の問題は解決できないということです。
これは、蒸気機関に依存する原子力発電では気候変動を解決できないということです。
これまで二酸化炭素を多く排出してきたのは、確かに火力発電です。だからカーボンニュートラルにおいては、脱炭素だけが注目されます。
でもカーボンニュートラルを実現するには、アインシュタインがいうように、気候変動を引き起こしてきた産業革命の技術に依存しないようにしない限り、気候変動は解決できません。脱産業革命ということです。
脱産業革命とはどうことでしょうか。それは、脱化石燃料であり、脱蒸気機関、脱内燃機関ということです。
ただ内燃機関については、完全に内燃機関を排除するのではなく、将来も有効に利用していく手段があることだけは、ここで簡単に触れておきたいと思います。
脱化石燃料は脱炭素ということです。それでは、脱蒸気機関とは何でしょか。脱火力発電、脱原子力発電ということです。脱火力発電は、脱炭素と同義です。となると脱産業革命には、脱炭素に脱原発も加えなければならないことがわかります。
火力発電も原子力発電も、発電量を調整するのが難しい発電方法です。ともに、常に一定の電力量を発電します。そのため、ベースロード電源だといわれます。
ベースロード電源とは、常に最低限必要な電力を安定して発電する電源のことをいいます。これまでは、それが火力発電と原子力発電になっていたのです。
そこに、再生可能エネルギーが発電に使われはじめました。ぼくは再エネについても、主に発電にだけ注目されるのに反対しています。再エネにおいても、必要となるすべてのエネルギーを供給するにはどうすべきなのかを考えなければなりません。
発電ばかりでなく、産業のグリーン化、熱供給、動力燃料と、エネルギーを必要とするすべての分野において、エネルギーを将来、どう供給するべきかについて考えなければなりません。原発復権論では、その焦点が発電に集中しすぎています。
日本の新しいエネルギー基本計画ではこれまで通り、原子力に依存しながらも、再エネを主要電源に育てるというふうに記述されると思います。しかし、発電電力量に変動の大きい再エネと常に一定の電力量を発電する原子力発電は両立しません。
それは、ゲンパツくんが再エネとは「犬猿の仲」といっているのでもわかります。大きく変動する再エネには、いつでも発電する電力量を調整できる発電方法が必要です。一定の電力量しか発電できない原子力発電は、再エネの変動には対応できません。
その問題が見逃されています。
原発は産業革命に由来する古い技術です。それに対して、再エネを拡大するには、さらなる技術革新の可能性が生まれます。
原発に依存していては、技術革新においても取り残されてしまいます。将来性がないということでもあります。だからゲンパツくんも、将来性のある再エネに「席を譲りたい」ともいっているのです。
脱原発するのか、しないのか。それは、これまで通りの古い技術、古い方法に頼って気候変動を解決しないのか、それとも再エネの導入に向けて新しい技術革新をめざして積極的に気候変動に立ち向かうのかを選択するのと、同じだともいえます。
どちらが将来について考えていますか。ぼくには、答えが明らかなように思えます。
2021年3月21日、まさお
関連記事:
原発復権させるって本当?
関連サイト:
朝日新聞電子版2021年3月07日の記事
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