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今年2026年は、チェルノブイリ原発事故後40年、フクシマ原発事故後15年となる節目の年。しかし世界中で、原発復活を期待する兆候が目立つ。
ドイツは脱原発を実現し、もう研究炉しか動いていない。しかしそのドイツにおいてさえも、政治ばかりでなく、市民の間で原発復活を望む声が増えている。
15年前にフクシマ原発事故を体験した日本でさえ、すでに10基以上の原発(正確には原子炉)が再稼働している。まもなく、さらに3基(柏崎刈羽原発と泊原発)が再稼働する見込みだ。
関西電力は美浜原発の敷地において、三菱重工の次世代型革新炉に建て替えることを目的に新設の調査を開始すると発表した。
浜岡原発では今年2026年に入り、再稼働のための審査に向け、想定できる地震による揺れを意図的に過小評価して申請していた疑いがあることもわかった。
日本はいったいどうなっているのか。15年前にフクシマ原発事故があったことが、記憶から消えてしまったかのようだ。
40年前、チェルノブイリ原発事故の影響を受けた(西)ドイツでも、事故から10年経って独仏で共同開発した欧州加圧水型炉(EPR)の設置を国内で容易にするため、型式承認で原発を設置できる法改正を行った。その時の担当大臣は、後に首相となるメルケル環境大臣だった。フクシマ原発事故後、ドイツの脱原発に最終的な道筋を確定させたメルケル首相でさえ、そういう過去があった。
それは、国内外で苦戦するドイツの原子力産業を救済するためでもあった。日本の原子力産業も現在、国内はもちろん、世界でも原発を建設できない状態が続いている。日本でも原発事故後15年経ち、原発復活によって原子力産業を救済しようとする。
しかし、原発事故後の時間的な隙間は長い。その間に原子力産業界では、人材とノウハウが失われている。失われたものを立て直すのは簡単なことではない。
それにも関わらず、原発事故から10年や15年経って原発にこだわるのは、原発事故から時間が経つにつれ、原発事故の被害を受けた直接の当事者を除けば、社会が原発事故のことを忘れてきているからだ。社会が「原発事故認知症」になっている時がチャンスだ。
原発の新設には莫大な投資が必要となる。その現実にも目を向けさせない。原発に伴う諸々の問題から目を背けさせる。政治や原子力産業はこうして、原発の物語をつくる。原発事故認知症の社会では、物語作りは簡単だ。
過去を忘れさせる時間とは怖いものだ。
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「原発いらない(Atomenergie Nein Danke)」のマークの入った風車。2014年3月8日のデモから |
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原発によって排出される核のゴミ(放射性廃棄物)は現在、地層処分されることになっている(最終処分)。最終処分には、10万年(フィンランド)、100万年(ドイツ)もの長い年月が要求される。
何世代にも渡るたいへんな問題だ。一般市民には想像もできない長い時間で、よくわからない。だから、最終処分の問題が先送りされても、問題ないとも思ってしまう。
結局、最終処分がいかに難題かは意識されない。
最近、日本のある教授が核のゴミを無害化する画期的な技術を見つけたと吹聴している。よく調べると、科学的にも技術的にも短絡すぎ、架空の物語のように見える。
しかしそのビデオのリンクが、画期的な発見だとして日本からぼくのところに何回も送られてきた。
教授は、原子力ムラの出身。理解できない一般市民を核のゴミの問題は処理できるとして、原発推進を目論んでいるのは間違いない。
こうして核のゴミの問題も忘れるように仕向けられ、「核のゴミ認知症」が発症する。
原発を使ってきた世代は後に残る核のゴミのことを考えたら、原発を利用する最初から核のゴミを無害化する技術を開発しなければならなかったはずだ。それが、原発利用者の責任だった。
それを怠ったから、核のゴミは地層処分されなければならなくなっている。その結果、核のゴミは何世代にも渡って地層に残されたままとなる。原発を使ってきた世代は、この現実をしっかりと認識すべきだ。
そうして、今まだ原発を使い続けるべきなのかどうか、自分で考えてほしい。認知症に侵されている場合ではない。
(2026年1月08日) |