再エネと立役者

 ドイツの再生可能エネルギーといえば、元連邦議会議員のヘルマン•シェーアを忘れることができません。志半ばにして、亡くなられたのはなんといっても残念でなりません。シェーアさんの死は、ドイツの、いや世界の再生可能エネルギーにとって大きな痛手となりました。

 国際エネルギー機関(IEA)に対抗する形で国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の設立に尽力されたのも、シェーアさんでした。

 以前、経産省の知人からドイツの再生可能エネルギーの立役者にヒアリングしたいと聞かれたことがあります。すぐにシェーアさんを挙げたのですが、経産省の官吏が社民党の政治家に会うわけにはいかないと返事がきました。何というやつらだと思いましたが、でもといって押しに押して会ってもらったら、後でたいへん感謝されたことがあります。

 日本の官僚自体が喰わず嫌いで、自国の利益のために働くのではなく、イデオロギーに凝り固まっていることがよくわかりました。

 ドイツでは、シェーアさんだけが再生可能エネルギーの立役者ではありません。各地に、それぞれの地元で再生可能エネルギーを牽引した立役者がいます。

 ドイツ南西部シェーナウでは、日本でもよく知られている市民電力会社のスラーデクさんご夫妻。

 ドイツ北東部のプレンツラウを風力発電の拠点の一つに育てたのは、エネルトラーク社です。その設立者がミュラーさんです。ミュラーさんは元々、東ドイツの原発建設のエンジニアでした。

 南西部のヴェルシュタットに立地する再生可能エネルギーのゼネコンJUWI社は、農民が共同で起業したスタートアップでした。

 ドイツ北西部のパーダーボルン地域では、1990年代中頃から風力発電が活発に拡大されています。その立役者がラックマンさんでした。ラックマンさんは元々は、IT関係のエンジニアでした。

 デンマーク国境沿いのドイツ北端で市民風力発電をはじめたクリスチャンセンさんも、忘れることができません。

 再生可能エネルギーで発電された電気の固定価格買い取り制度(FIT)の原案を考案したのは、ドイツ西部アーヘンの市民たちでした。

 こうした立役者が地元で住民をまとめ、再生可能エネルギーを市民の手で普及させたのでした。

 各地において再生可能エネルギーを市民の手で普及させる。そのためには、各地で市民をまとめて牽引する立役者も、重要な役割を果たします。

2018年10月14日、まさお

関連サイト:
地道な市民論
エネルギー選択宣言

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.